「地獄変」の良秀は絵筆をとっては「良秀の右に出るものは一人もあるまいと申された位、高名な絵師」
である。
けれどもその性格は「吝嗇で、慳貪で、恥知らずで、怠けもので、強慾で――いやその中でも取分け甚しいのは、横柄で高慢で、何時も本朝第一の絵師と申す事を、鼻の先へぶら下げてゐる事でございませう。」というようなもので、人からは決して好かれない。
のみならず、「あの男の負け惜しみになりますと、世間の習慣とか慣例とか申すやうなものまで、すべて莫迦に致さずには置かない」というように、世間に流通している倫理や道徳の類に対してこれらをまったく認めておらず、宗教や祈祷も子供だましくらいにしか思っていない。
しかし、彼には「たつた一つ人間らしい、情愛のある所」が残っている。それが一人娘の小女房に対するまるで「気違いじみた」偏愛である。娘に対する可愛がり方は並大抵のものではない。信心がなく勧進に喜捨をした事さえないのに、娘の衣服や髪飾に対しては惜し気もなく整えてやる。娘への愛はまったく無償であって、それが良秀を最後に世俗の習慣的世界、体制秩序のうちにつなぎとめているものである。逆に言えば、この、最後のくびきを断ち切ることなく、真の意味での法や倫理の矩を超えたところにある境位である「超人」に達することはできないのである。それは、良秀にとって、生に対する未練という意味で唯一の生きるよすがであるとともに、「芸術至上主義」の唯一最後のアキレス腱でもあるのだ。
そして、作品中に登場する芸術技術論としては、絵は見なければ描けない、あるいは、見なければリアリスティックで見る鑑賞者に迫ってくるような本当の傑作は描けないという、「眼にみえるやうな文章」と響きあう認識が示される。
それが「さやうでございまする。私は総じて、見たものでなければ描けませぬ。よし描けても、得心が参りませぬ。それでは描けぬも同じ事でございませぬか。」という台詞である。だから、良秀は、地獄変の屏風を描こうとすれば、地獄を見なければならないということになる。火事を見て「よぢり不動」を描き、「鉄の鎖に縛いましめられたもの」や「怪鳥に悩まされるもの」を観察して「罪人の呵責に苦しむ様」を類推的に知った。また、毎晩の悪夢で苛みに来る牛頭、馬頭、或は三面六臂の鬼」のために地獄の獄卒もよく親しんでいる。描きたいのは、そして、描くために、目の当たりにしたいのは、火炎に焼かれる娘の姿である。
大殿の嫉妬に基づく復讐のために、そこで焼かれる女房として、良秀の娘が選ばれる。
これには、さすがの良秀も驚き呆然として苦悶する。芥川渾身の、まさに焼け死のうとする愛娘の苦悶の表情をまじまじと見てしまったいたましい良秀の描写である。
「思はず知らず車の方へ駆け寄らうとしたあの男は、火が燃え上ると同時に、足を止めて、やはり手をさし伸した儘、食ひ入るばかりの眼つきをして、車をつゝむ焔煙を吸ひつけられたやうに眺めて居りましたが、満身に浴びた火の光で、皺だらけな醜い顔は、髭の先までもよく見えます。が、その大きく見開いた眼の中と云ひ、引き歪めた唇のあたりと云ひ、或は又絶えず引き攣つてゐる頬の肉の震へと云ひ、良秀の心に交々こも/″\往来する恐れと悲しみと驚きとは、歴々と顔に描かれました。首を刎ねられる前の盗人でも、乃至は十王の庁へ引き出された、十逆五悪の罪人でも、あゝまで苦しさうな顔を致しますまい。これには流石にあの強力の侍でさへ、思はず色を変へて、畏る/\大殿様の御顔を仰ぎました。」
しかし、ここで転回が訪れる。良秀は、最後のくびきを、引きちぎるのである。
「あのさつきまで地獄の責苦に悩んでゐたやうな良秀は、今は云ひやうのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを、皺だらけな満面に浮べながら、大殿様の御前も忘れたのか、両腕をしつかり胸に組んで、佇んでゐるではございませんか。それがどうもあの男の眼の中には、娘の悶え死ぬ有様が映つてゐないやうなのでございます。唯美しい火焔の色と、その中に苦しむ女人の姿とが、限りなく心を悦ばせる――さう云ふ景色に見えました。
しかも不思議なのは、何もあの男が一人娘の断末魔を嬉しさうに眺めてゐた、そればかりではございません。その時の良秀には、何故か人間とは思はれない、夢に見る獅子王の怒りに似た、怪しげな厳さがございました。でございますから不意の火の手に驚いて、啼き騒ぎながら飛びまはる数の知れない夜鳥でさへ、気のせゐか良秀の揉烏帽子のまはりへは、近づかなかつたやうでございます。恐らくは無心の鳥の眼にも、あの男の頭の上に、円光の如く懸つてゐる、不可思議な威厳が見えたのでございませう。」
目の前の愛娘は、抽象化されて、美しい絵を描けるということに対する喜びと恍惚に浸っている。そこには、「獅子王の怒り」に似た怪しげの威厳さえ宿っている。
しかし、この回心はどこからやってきたのだろうか。
良秀が芸術至上主義とも呼ばれる超人の側へと法の線をまたいで越えた瞬間には、その契機となる事件がある。それは猿の自殺である。
「するとその夜風が又一渡り、御庭の木々の梢にさつと通ふ――と誰でも、思ひましたらう。さう云ふ音が暗い空を、どことも知らず走つたと思ふと、忽ち何か黒いものが、地にもつかず宙にも飛ばず、鞠のやうに躍りながら、御所の屋根から火の燃えさかる車の中へ、一文字にとびこみました。さうして朱塗のやうな袖格子が、ばら/\と焼け落ちる中に、のけ反つた娘の肩を抱いて、帛を裂くやうな鋭い声を、何とも云へず苦しさうに、長く煙の外へ飛ばせました。続いて又、二声三声――私たちは我知らず、あつと同音に叫びました。壁代のやうな焔を後にして、娘の肩に縋つてゐるのは、堀河の御邸に繋いであつた、あの良秀と諢名のある、猿だつたのでございますから。その猿が何処をどうしてこの御所まで、忍んで来たか、それは勿論誰にもわかりません。が、日頃可愛がつてくれた娘なればこそ、猿も一しよに火の中へはひつたのでございませう。」
もともとは、まず、立ち居振舞いが猿のようだとして猿秀という渾名までつけられるほどの良秀に対して、それを逆転させて、反対に飼育されていた猿に良秀という名前がつけられたもので、良秀の娘に救われて以来彼女を慕っていた。娘が夜間に何者かに襲われた際に助けを呼びに行っているように、良秀の娘に対する愛の象徴だったものだ。それが火に入って後追いの自殺を遂げてしまったのだから、それはすなわち「生に対する未練という意味で唯一の生きるよすがであるとともに、「芸術至上主義」の唯一最後のアキレス腱」が切断されたのと同義なのである。猿という表象は、芥川にとって、生きるよすがである生命への志向が「動物的」と感じられたものの反映である。
そのようにして芸術至上主義の最後のくびきが絶たれたために、遂に稀代の傑作である地獄変の屏風図が完成し、また、良秀の生の可能性も閉ざされ燃え尽きてしまうのである。
「それも屏風の出来上つた次の夜に、自分の部屋の梁へ縄をかけて、縊れ死んだのでございます。一人娘を先立てたあの男は、恐らく安閑として生きながらへるのに堪へなかつたのでございませう。屍骸は今でもあの男の家の跡に埋まつて居ります。尤も小さな標の石は、その後何十年かの雨風に曝されて、とうの昔誰の墓とも知れないやうに、苔蒸してゐるにちがひございません。」