龍之介17、卒0708 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

「妖婆」と「羅生門」の構造的類似性について。
青年の怒り、楼上の世界と水神の世界としての「縁側の外の堅川の水」窃視
世間知に長けた老婆のエゴイズム
楼上の窃視
老いたるものの偸安の念
仕方がないから盗む奪う蹴落とす
その「仕方なさ」を見つめ疑う


「妖婆」における水の神婆娑羅の分析
吉田敦彦『水の神話』「若返りの水と死の水」
脱皮型の死の起源神話というものがあり、世界に分布している

吉野裕子『蛇――日本の蛇信仰』
脱皮までの経過は次の通りである。
1皮膚の艶がなくなってカサカサしてくる。
2変色してくる。種類により、白っぽくなったり、黒ずんできたり、斑紋が鮮明でなくなる。
3目が白濁してくる。
4動きが鈍く、じっとトグロを巻いて、食欲がなくなる。
5水に入りたがる。
『日本民俗学』169吉成直樹「水と再生――八重山諸島におけるアカマタ・クロマタ・マユンガナシ儀

礼の再検討」
脱皮による再生は、水との接触によって果たされるとされている。


さっきこの婆のものを云う声が、蟇の呟くようだったと云いましたが、こうして坐っているのを見る

と、蟇も蟇、容易ならない蟇の怪が、人間の姿を装って、毒気を吐こうとしているとでも形容しそう

な気色ですから、これにはさすがの新蔵も、頭の上の電燈さえ、光が薄れるかと思うほど、凄しげな

心もちがして来たそうです。
けれども婆は自若として、まるで蝙蝠の翼のように、耳へ当てた片手を動かしながら、「怒らしゃる

まいてや。口が悪いはわしが癖じゃての。」と、まだ半ばせせら笑うように、新蔵の言葉を遮りまし

たが、それでもようやく調子を改めて、「年はの。」と、仔細らしく尋ねたそうです。
すると婆は益々眼をぎょろつかせて、「聞えぬかいの。おぬしのような若いのが、そこな石河岸の石

の上で、ついているため息が聞えぬかいの。」と、次第に後の箪笥に映った影も大きくなるかと思う

ほど、膝を進めて来ましたが、やがてその婆臭い匂が、新蔵の鼻を打ったと思うと、障子も、襖も、

御酒徳利も、御鏡も、箪笥も、座蒲団も、すべて陰々とした妖気の中に、まるで今までとは打って変

った、怪しげな形を現して、「あの若いのもおぬしのように、おのが好色心に目が眩んでの、この婆

に憑らせられた婆娑羅の大神に逆さかろうたてや。されば立ち所に神罰を蒙って、瞬く暇に身を捨ち

ょうでの。おぬしには善い見せしめじゃ。聞かっしゃれ。」と云う声が、無数の蠅の羽音のように、

四方から新蔵の耳を襲って来ました。
何でも代々宮大工だったお敏の父親に云わせると、「あの婆は人間じゃねえ。嘘だと思ったら、横っ

腹を見ろ。魚の鱗が生えてやがるじゃねえか。」とかで、往来でお島婆さんに遇ったと云っても、す

ぐに切火を打ったり、浪の花を撒いたりするくらいでした。
人面の獺
が、勿論新蔵と堅い約束の出来ていたお敏は、その晩にも逃げ帰る心算だったそうですが、向うも用

心していたのでしょう。度々入口の格子戸を窺っても、必ず外に一匹の蛇が大きなとぐろを巻いてい

るので、到底一足も踏み出す勇気は、起らなかったと云う事です。
ところがこの間新蔵が来て以来、二人の関係が知れて見ると、日頃非道なあの婆が、お敏を責めるの

責めないのじゃありません。それも打ったりつねったりするばかりか、夜更けを待っては怪しげな法

を使って、両腕を空ざまに吊し上げたり、頸のまわりへ蛇をまきつかせたり、聞くさえ身の毛のよ立

つような、恐しい目にあわせるのです。


「日光小品」
 戦場が原

 枯草の間を沼のほとりへ出る。
 黄泥の岸には、薄氷が残っている。枯蘆の根にはすすけた泡がかたまって、家鴨の死んだのがその

中にぶっくり浮んでいた。どんよりと濁った沼の水には青空がさびついたように映って、ほの白い雲

の影が静かに動いてゆくのが見える。
枯れ草、枯れ蘆
空と沼との鏡写と一体化、渾然化
錆色の空、濁った水
死んだ家鴨の死体が浮かんでいる


 対岸には接骨木めいた樹がすがれかかった黄葉を低たれて力なさそうに水にうつむいた。それをめ

ぐって黄ばんだ葭がかなしそうに戦いて、その間からさびしい高原のけしきがながめられる。
 ほおけた尾花のつづいた大野には、北国めいた、黄葉した落葉松が所々に腕だるそうにそびえて、

その間をさまよう放牧の馬の群れはそぞろに我々の祖先の水草を追うて漂浪した昔をおもい出させる

。原をめぐった山々はいずれもわびしい灰色の霧につつまれて、薄い夕日の光がわずかにその頂をぬ

らしている。
 私は荒涼とした思いをいだきながら、この水のじくじくした沼の岸にたたずんでひとりでツルゲー

ネフの森の旅を考えた。そうして枯草の間に竜胆の青い花が夢見顔に咲いているのを見た時に、しみ

じみあの I have nothing to do with thee という悲しい言が思い出された。

じくじくした沼
傷口

     巫女

 年をとった巫女が白い衣に緋の袴をはいて御簾の陰にさびしそうにひとりですわっているのを見た

。そうして私もなんとなくさびしくなった。
 時雨もよいの夕に春日の森で若い二人の巫女にあったことがある。二人とも十二、三でやはり緋の

袴に白い衣をきて白粉をつけていた。小暗い杉の下かげには落葉をたく煙がほの白く上って、しっと

りと湿った森の大気は木精のささやきも聞えそうな言いがたいしずけさを漂せた。そのもの静かな森

の路をもの静かにゆきちがった、若い、いや幼い巫女の後ろ姿はどんなにか私にめずらしく覚えたろ

う。私はほほえみながら何度も後ろをふりかえった。けれども今、冷やかな山懐の気が肌寒く迫って

くる社の片かげに寂然とすわっている老年の巫女を見ては、そぞろにかなしさを覚えずにはいられな

い。
 私は、一生を神にささげた巫女の生涯のさびしさが、なんとなく私の心をひきつけるような気がし

た。
老いた巫女の生涯のさびしさと若い巫女
これは、素戔嗚尊にも同様な場面が出てくる


その内に夜になった。老婆は炉に焚き木を加えると共に、幾つも油火の燈台をともした。その昼のよ

うな光の中に、彼は泥のように酔い痴れながら、前後左右に周旋する女たちの自由になっていた。十

六人の女たちは、時々彼を奪い合って、互に嬌嗔を帯びた声を立てた。が、大抵は大気都姫が、妹た

ちの怒には頓着なく、酒に中った彼を壟断していた。彼は風雨も、山々も、あるいはまた高天原の国

も忘れて、洞穴を罩めた脂粉の気の中に、全く沈湎しているようであった。ただその大騒ぎの最中に

も、あの猿のような老婆だけは、静に片隅に蹲くまって、十六人の女たちの、人目を憚からない酔態

に皮肉な流し目を送っていた。

森の中のハーレムと野人的放蕩
素戔嗚尊は、自由奔放に行動する


「海のほとり」
僕はだんだん八犬伝を忘れ、教師になることなどを考え出した。が、そのうちに眠ったと見え、いつ

かこう言う短い夢を見ていた。
 ――それは何でも夜更らしかった。僕はとにかく雨戸をしめた座敷にたった一人横になっていた。

すると誰か戸を叩いて「もし、もし」と僕に声をかけた。僕はその雨戸の向うに池のあることを承知

していた。しかし僕に声をかけたのは誰だか少しもわからなかった。
「もし、もし、お願いがあるのですが、……」
 雨戸の外の声はこう言った。僕はその言葉を聞いた時、「ははあ、Kのやつだな」と思った。Kと

言うのは僕等よりも一年後の哲学科にいた、箸にも棒にもかからぬ男だった。僕は横になったまま、

かなり大声に返事をした。
「哀れっぽい声を出したって駄目だよ。また君、金のことだろう?」
「いいえ、金のことじゃありません。ただわたしの友だちに会わせたい女があるんですが、……」
 その声はどうもKらしくなかった。のみならず誰か僕のことを心配してくれる人らしかった。僕は

急にわくわくしながら、雨戸をあけに飛び起きて行った。実際庭は縁先からずっと広い池になってい

た。けれどもそこにはKは勿論、誰も人かげは見えなかった。
 僕はしばらく月の映った池の上を眺めていた。池は海草の流れているのを見ると、潮入になってい

るらしかった。そのうちに僕はすぐ目の前にさざ波のきらきら立っているのを見つけた。さざ波は足

もとへ寄って来るにつれ、だんだん一匹の鮒になった。鮒は水の澄んだ中に悠々と尾鰭を動かしてい

た。
「ああ、鮒が声をかけたんだ。」
 僕はこう思って安心した。――

異類婚姻譚に通じる
笠懸地蔵や鶴女房みたいな運命のノック


僕等は四人とも笑い出した。そこへ向うからながらみ取りが二人ふたり、(ながらみと言うのは螺の

一種である。)魚籃をぶら下さげて歩いて来た。彼等は二人とも赤褌をしめた、筋骨の逞しい男だっ

た。が、潮に濡れ光った姿はもの哀れと言うよりも見すぼらしかった。Nさんは彼等とすれ違う時、

ちょっと彼等の挨拶に答え、「風呂にお出で」と声をかけたりした。
「ああ言う商売もやり切れないな。」
 僕は何か僕自身もながらみ取りになり兼ねない気がした。
「ええ、全くやり切れませんよ。何しろ沖へ泳いで行っちゃ、何度も海の底へ潜るんですからね。」
「おまけに澪に流されたら、十中八九は助からないんだよ。」
 Hは弓の折れの杖を振り振り、いろいろ澪の話をした。大きい澪は渚から一里半も沖へついている

、――そんなことも話にまじっていた。
「そら、Hさん、ありゃいつでしたかね、ながらみ取りの幽霊が出るって言ったのは?」
「去年――いや、おととしの秋だ。」
「ほんとうに出たの?」
 HさんはMに答える前にもう笑い声を洩もらしていた。
「幽霊じゃなかったんです。しかし幽霊が出るって言ったのは磯いそっ臭い山のかげの卵塔場でした

し、おまけにそのまたながらみ取りの死骸は蝦だらけになって上がったもんですから、誰でも始めの

うちは真に受けなかったにしろ、気味悪がっていたことだけは確かなんです。そのうちに海軍の兵曹

上へりの男が宵のうちから卵塔場に張りこんでいて、とうとう幽霊を見とどけたんですがね。とっつ

かまえて見りゃ何のことはない。ただそのながらみ取りと夫婦約束をしていたこの町の達磨茶屋の女

だったんです。それでも一時は火が燃えるの人を呼ぶ声が聞えるのって、ずいぶん大騒ぎをしたもん

ですよ。」
「じゃ別段その女は人を嚇す気で来ていたんじゃないの?」
「ええ、ただ毎晩十二時前後にながらみ取りの墓の前へ来ちゃ、ぼんやり立っていただけなんです。


 Nさんの話はこう言う海辺にいかにもふさわしい喜劇だった。が、誰も笑うものはなかった。のみ

ならず皆なぜともなしに黙って足ばかり運んでいた。
この、ながらみ取りの幽霊は、夢のなかで先取りされていた「鮒」である。紹介したい女というのは

、夫婦約束をしていた女ではないだろうか。その行く末を案じて、紹介しようとしたのではないか?