「往生絵巻」
金鼓をたたきながら大声に喚く法師がいる。
「阿弥陀仏よや。おおい。おおい。」
人々には天狗か狐の憑いた狂人扱いをされる。多度の五位は山狩りや川狩りをするばかりか乞食をも遠矢に殺してしまった殺生好きであったが、突然弓矢を捨て出家してしまったのであった。阿弥陀仏に呼びかけながらどこかへと向かって歩いていく。とすると、別の老法師にどこへ行くのかと尋ねられ阿弥陀仏に会うために西へと向かっているという。しかし、西には海が広がっている。五位は或る講師の説法を聴聞したために発心を起こしたという。
「その講師の申されるのを聞けば、どのやうな破戒の罪人でも、阿弥陀仏に知遇し奉れば、浄土に往かれると申す事ぢや。身共はその時体中の血が、一度に燃え立つたかと思ふ程、急に阿弥陀仏が恋しうなつた。……………」
五位が講師に刀を突き付け阿弥陀仏の在処を責め問うと講師は「西」だと答えたというのである。
老法師は呆れて帰った。
五位は浜辺へとたどり着く。
五位の入道 阿弥陀仏よや。おおい。おおい。――この海辺には舟も見えぬ。見えるのは唯浪ばかりぢや。阿弥陀仏の生まれる国は、あの浪の向ふにあるかも知れぬ。もし身共が鵜の鳥ならば、すぐに其処へ渡るのぢやが、……しかしあの講師も阿弥陀仏には、広大無辺の慈悲があると云うた。して見れば身共が大声に、御仏の名前を呼び続けたら、答位はなされぬ事もあるまい。されずば呼び死じにに、死ぬるまでぢや。幸ひ此処に松の枯木が、二股に枝を伸ばしてゐる。まづこの梢に登るとしようか。――阿弥陀仏よや。おおい。おおい。
阿弥陀仏の生まれる国は、あの「波の向こう」にあるかもしれない。
老いたる法師 あの物狂ひに出合つてから、もう今日は七日目ぢや。何でも生身の阿弥陀仏に、御眼にかかるなぞと云うてゐたが。その後は何処へ行き居つたか、――おお、この枯木の梢の上に、たつた一人登つてゐるのは、紛れもない法師ぢや。御坊。御坊。……返事をせぬのも不思議はない。何時か息が絶えてゐるわ。餌袋も持たぬ所を見れば、可哀さうに餓死んだと見える。
愚直な五位はついに呼び死にに死んでしまったのである。
老いたる法師 この儘梢に捨てて置いては、鴉の餌食にならうも知れぬ。何事も前世の因縁ぢや。どれわしが葬うてやらう。――や、これはどうぢや。この法師の屍骸の口には、まつ白な蓮華が開いてゐるぞ。さう云へば此処へ来た時から、異香も漂うてはゐた容子ぢや。では物狂ひと思うたのは、尊い上人でゐらせられたのか。それとも知らずに、御無礼を申したのは、反す反すもわしの落度ぢや。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
その五位の死骸の口には、真っ白な蓮華が咲いている。彼は生前ついに阿弥陀仏に出会うことはなかったが、彼の口には無垢なる花が咲く。
これは、まったく、「沼」と同じモチーフによって書かれた小品である。
「妖婆」
ハンター×ハンターのノストラードファミリーの元ネタっぽい。
未来を占う娘(と妖婆)を奪おうとする男が出てくる。
「君も知っているだろう。ついこの間魚政の女隠居が身投げをした。――あの屍骸がどうしても上らなかったんだが、お島婆さんにお札を貰って、それを一の橋から川へ抛りこむと、その日の内に浮いて出たじゃないか。しかも御札を抛りこんだ、一の橋の橋杭の所にさ。ちょうど日の暮の上げ潮だったが、仕合せとあすこにもやっていた、石船の船頭が見つけてね。さあ、御客様だ、土左衛門だと云う騒ぎで、早速橋詰の交番へ届けたんだろう。僕が通りかかった時にゃ、もう巡査が来ていたが、人ごみの後から覗いて見ると、上げたばかりの女隠居の屍骸が、荒菰をかぶせて寝かしてある、その菰の下から出た、水ぶくれの足の裏には、何だと思う、君? あの御札がぴったり斜っかけに食附いていたんだ。僕はさすがにぞっとしたね。」――と云う友だちの話を聞いた時には、新蔵もやはり背中が寒くなって、夕潮の色だの、橋杭の形だの、それからその下に漂っている女隠居の姿だの――そんな物が一度に眼の前へ、浮んで来たような気がしたそうです。
身投げした女隠居があがったのは、一の橋の橋杭の所である。
「いかにおぬしが揣ろうともの、人間の力には天然自然の限りがあるてや。悪あがきは思い止らっしゃれ。」と、猫撫声を出しましたが、急にもう一度大きな眼を仇白く見開いて、「それ、それ、証拠は目のあたりじゃ。おぬしにはあのため息が聞えぬかいの。」と、今度は両手を耳へ当てながら、さも一大事らしく囁いたと云うのです。新蔵は我知らず堅くなって、じっと耳を澄ませましたが、襖一重向うに隠れている、お敏のけはいを除いては、何一つ聞えるものもありません。すると婆は益々眼をぎょろつかせて、「聞えぬかいの。おぬしのような若いのが、そこな石河岸の石の上で、ついているため息が聞えぬかいの。」と、次第に後の箪笥に映った影も大きくなるかと思うほど、膝を進めて来ましたが、やがてその婆臭い匂が、新蔵の鼻を打ったと思うと、障子も、襖も、御酒徳利も、御鏡も、箪笥も、座蒲団も、すべて陰々とした妖気の中に、まるで今までとは打って変った、怪しげな形を現して、「あの若いのもおぬしのように、おのが好色心に目が眩んでの、この婆に憑らせられた婆娑羅の大神に逆うたてや。されば立ち所に神罰を蒙って、瞬く暇に身を捨ちょうでの。おぬしには善い見せしめじゃ。聞かっしゃれ。」と云う声が、無数の蠅の羽音のように、四方から新蔵の耳を襲って来ました。その拍子に障子の外の竪川へ、誰とも知れず身を投げた、けたたましい水音が、宵闇を破って聞えたそうです。これに荒胆を挫がれた新蔵は、もう五分とその場に居たたまれず、捨台辞を残すのもそこそこで、泣いているお敏さえ忘れたように、蹌踉とお島婆さんの家を飛び出しました。 さて日本橋の家へ帰って、明くる日起きぬけに新聞を見ると、果して昨夜竪川に身投げがあった。――それも亀沢町の樽屋の息子で、原因は失恋、飛びこんだ場所は、一の橋と二の橋との間にある石河岸と出ているのです。
失恋のための身投げ
が、どう云う秘密な理由があるのか、一人でもそこで呪い殺された、この石河岸のような場所になると、さすがの婆の加持祈祷でも、そのまわりにいる人間には、害を加える事が出来ません。のみならず、そこでしている事は、千里眼同様な婆の眼にも、はいらずにすむようですから、それでお敏は新蔵を、わざわざこの石河岸へ呼び寄せたと云う次第なのです。
マージナルな川べり、だれの所有にもならないし、監視管理の目も届かない悪所
死角となるところ
そう云う苦しい沈黙が、しばらくの間続いた後で、お敏は涙ぐんだ眼を挙げると、仄かに星の光っている暮方の空を眺めながら、「いっそ私は死んでしまいたい。」と、かすかな声で呟きましたが、やがて物に怯えたように、怖々あたりを見廻して、「余り遅くなりますと、また家の御婆さんに叱られますから、私はもう帰りましょう。」と、根も精もつき果てた人のように云うのです。成程そう云えばここへ来てから、三十分は確かに経ちましたろう。夕闇は潮の匂と一しょに二人のまわりを立て罩めて、向う河岸が薪の山も、その下に繋いである苫船も、蒼茫たる一色に隠れながら、ただ竪川の水ばかりが、ちょうど大魚の腹のように、うす白くうねうねと光っています。
竪川の水の大魚の腹のような流れ
うすしろくうねうねと光る
婆さんの横腹の魚鱗のようなもの
その内に御影の狛犬が向い合っている所まで来ると、やっと泰さんが顔を挙げて、「ここが一番安全だって云うから、雨やみ旁々この中で休んで行こう。」と、二人の方を振り返りました。そこで皆一つ傘の下に雨をよけながら、積み上げた石と石との間をぬけて、ふだんは石切りが仕事をする所なのでしょう。石河岸の隅に張ってある蓆屋根の下へはいりました。その時は雨も益々凄じくなって、竪川を隔てた向う河岸も見えないほど、まっ白にたぎり落ちていましたから、この一枚の蓆屋根くらいでは、到底洩らずにすむ訣もありません。のみならず、霧のような雨のしぶきも、湿った土の匂と一しょに、濛々と外から吹きこんで来ます。そこで三人は蓆屋根の下にはいりながらも、まだ一本の蛇の目を頼みにして、削りかけたままになっている門柱らしい御影の上に、目白押しに腰を下しました。と、すぐに口を切ったのは新蔵です。「お敏、僕はもうお前に逢えないかと思っていた。」――こう云う内にまた雨の中を斜に蒼白い電光が走って、雲を裂くように雷が鳴りましたから、お敏は思わず銀杏返しを膝の上へ伏せて、しばらくはじっと身動きもしませんでしたが、やがて全く色を失った顔を挙げると、夢現のような目なざしをうっとりと外の雨脚へやって、「私ももう覚悟はして居りました。」と気味の悪いほど静に云いました。
雨と雷と神意
そう云う内にも外の天気は、まだ晴れ間も見えないばかりか、雷は今にも落ちかかるかと思うほど、殷々と頭上に轟き渡って、その度に瞳を焼くような電光が、しっきりなく蓆屋根の下へも閃ひらめいて来ます。すると今まで身動きもしなかった新蔵が、何と思ったか突然立ち上ると、凄じく血相を変えたまま、荒れ狂う雨と稲妻との中へ、出て行きそうにするじゃありませんか。しかもその手には、いつの間にか、石切りが忘れて行ったらしい鑿を提さげているのです。これを見た泰さんは、蛇の目をそこへ抛り出すが早いか、やにわに後から追いすがって、抱くように新蔵の肩を抑えました。「おい、気でも違ったのか。」――思わずこう泰さんは怒鳴りつけながら、無理に相手を引き戻そうとすると、新蔵は別人のように上ずった声で、「離してくれ給え。もうこうなりゃ、僕が死ぬか、あの婆を殺すかよりほかはないんだ。」と、夢中で喚き立てるのです。「莫迦な事をするな。第一今日は鍵惣も来合せていると云うじゃないか。だから僕が向うへ行って――」「鍵惣が何だ。お敏を妾にしようと云うやつが、君の頼みなんぞ聞くものか。それよりか僕を離してくれ給え。よ、友達甲斐に離してくれ給えったら。」「君はお敏さんの事を忘れたのか。君がそんな無謀な事をしたら、あの人はどうするんだ。」――二人がこう揉み合っている間に、新蔵は優しい二つの腕が、わなわな震えながらも力強く、首のまわりに懸ったのを感じました。それから涙に溢れた涼しい眼が、限りなく悲しい光を湛たたえて、じっと彼の顔に注がれているのを眺めました。最後に大雨の音を縫って、ほとんど聞きとれないほどかすかな声が、「御一しょに死なせて下さいまし。」と、囁いたのを耳にしました。と同時に近くへ落雷があったのでしょう。天が裂けたような一声の霹靂と共に紫の火花が眼の前へ散乱すると、新蔵は恋人と友人とに抱かれたまま、昏々として気を失ってしまいました。
紫の火花、落雷、女のかすかな声、限りなく悲しい光と首の周りに懸った優しい二つの腕
劇的な幕切れがされる
追い詰められた女の、心中を決意する心とまなざし
蛇の目と鑿、荒れ狂う雨と稲妻、決断する身体の跳躍
婆娑羅の大神
この婆娑羅の大神と云うのが、やはりお島婆さんのように、何とも素性の知れない神で、やれ天狗だの、狐だのと、いろいろ取沙汰もありましたが、お敏にとっては産土神の天満宮の神主などは、必ず何か水府のものに相違ないと云っていました。そのせいかお島婆さんは、毎晩二時の時計が鳴ると、裏の縁側から梯子伝いに、竪川の中へ身を浸して、ずっぷり頭まで水に隠したまま、三十分あまりもはいっている――それもこの頃の陽気ばかりだと、さほどこたえはしますまいが、寒中でもやはり湯巻き一つで、紛々と降りしきる霙の中を、まるで人面の獺のように、ざぶりと水へはいると云うじゃありませんか。一度などはお敏が心配して、電燈を片手に雨戸を開けながら、そっと川の中を覗いて見たら、向う岸の並蔵の屋根に白々と雪が残っているだけ、それだけ余計黒い水の上に、婆の切髪の頭だけが、浮巣のように漂っていたそうです。その代りこの婆のする事は、加持でも占でも験がある――と云うと、善い方ばかりのようですが、この婆に金を使って、親とか夫とか兄弟とかを呪い殺したものも大勢いました。現にこの間この石河岸から身を投げた男なぞも、同じ柳橋の芸者とかに思をかけたある米問屋の主人の頼みで、あの婆が造作もなく命を捨てさせてしまったのだそうです。
水の神を使う呪術師の婆さん
天狗かもしれないし、狐かもしれない
獺のような婆、蟇蛙のような婆
加持占い呪い