龍之介14、卒03 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

時間はしかし、過ぎ去ることなく、この存在そのものの内部において、この今という瞬間の只中に隆起するものとして描かれる。
過去、現在、未来の影
時間の中に食入り生き続けること
有限で相対な存在者の根源としての依他性
その切ないものが外へと超え出ようとするがどこも一面に塞がってまるで出口がないような残酷極まる状態

市川浩「精神としての身体」
木村敏「自己・あいだ・時間」
亀井秀雄「身体・表現のはじまり」
高橋英夫「小林秀雄―歩行と思索―」
志賀直哉―近代と神話―
メルロ・ポンティ「眼と身体」「知覚の現象学」


おれは沼のほとりを歩いてゐる。
 昼か、夜か、それもおれにはわからない。
唯、どこかで蒼鷺の啼く声がしたと思つたら、蔦葛に掩はれた木々の梢に、薄明りの仄めく空が見えた。
蔦葛に覆われた木々が薄明かりの仄めく空をスクリーンのように区切ってしまう。
青さぎの啼くさみしい声がする。

 沼にはおれの丈よりも高い芦が、ひつそりと水面をとざしてゐる。水も動かない。藻も動かない。水の底に棲んでゐる魚も――魚がこの沼に棲んでゐるであらうか。
沼は澱んでいて、芦や藻が鬱蒼と茂り、死んだように動かない。
死んだように動かず澱んだ水は、そこに記憶を保存している。冷たく非活性な、空間。


おれはこの五六日、この沼のほとりばかり歩いてゐた。寒い朝日の光と一しよに、水の匂や芦の匂がおれの体を包んだ事もある。
寒い朝日の光と、体を包む匂。絡みつくように包囲する匂い。


と思ふと又枝蛙の声が、蔦葛に蔽はれた木々の梢から、一つ一つかすかな星を呼びさました覚えもあつた。
蔦葛に覆われた木々の梢のスクリーン浮かぶかすかな星の光。

おれは遠い昔から、その芦の茂つた向うに、不思議な世界のある事を知つてゐた。いや、今でもおれの耳には、Invitation au Voyage の曲が、絶え絶えに其処から漂よつて来る。
私を誘う魔法のような調べ。絶え絶えにそこから漂ってくる、不思議な世界の予感。その可能性の明滅は、私の生に清涼たる息吹を吹き込むような、一種の救いである。

さう云へば水の匂や芦の匂と一しよに、あの「スマトラの忘れな艸ぐさの花」も、蜜のやうな甘い匂を送つて来はしないであらうか。

おれはこの五六日、その不思議な世界に憧れて、蔦葛に掩はれた木々の間を、夢現のやうに歩いてゐた。
夢見がちな漂白者、足取りも怪しい徘徊者。
何かを求めて歩くことをやめない。
が、此処ここに待つてゐても、唯芦と水とばかりがひつそりと拡がつてゐる以上、おれは進んで沼の中へ、あの「スマトラの忘れな艸ぐさの花」を探しに行ゆかなければならぬ。
佇立することと歩いて探し回ることが対立されている。
彷徨える求道者。


見れば幸ひ、芦の中から半ば沼へさし出てゐる、年経た柳が一株ある。あすこから沼へ飛びこみさへすれば、造作なく水の底にある世界へ行かれるのに違ひない。
 おれはとうとうその柳の上から、思ひ切つて沼へ身を投げた。
 おれの丈より高い芦が、その拍子に何かしやべり立てた。水が呟やく。藻が身ぶるひをする。あの蔦葛に掩はれた、枝蛙の鳴くあたりの木々さへ、一時はさも心配さうに吐息を洩らし合つたらしい。おれは石のやうに水底へ沈みながら、数限りもない青い焔が、目まぐるしくおれの身のまはりに飛びちがふやうな心もちがした。
水の底の世界めまぐるしく飛び違う限りない青い焔。


 おれの死骸は沼の底の滑らかな泥に横たはつてゐる。死骸の周囲にはどこを見ても、まつ青さをな水があるばかりであつた。この水の下にこそ不思議な世界があると思つたのは、やはりおれの迷ひだつたのであらうか。事によると Invitation au Voyage の曲も、この沼の精が悪戯に、おれの耳を欺してゐたのかも知れない。が、さう思つてゐる内に、何やら細い茎が一すぢ、おれの死骸の口の中から、すらすらと長く伸び始めた。さうしてそれが頭の上の水面へやつと届いたと思ふと、忽ち白い睡蓮の花が、丈の高い芦に囲まれた、藻の匂のする沼の中に、的礫と鮮かな莟を破つた。
 これがおれの憧れてゐた、不思議な世界だつたのだな。――おれの死骸はかう思ひながら、その玉のやうな睡蓮の花を何時までもぢつと仰ぎ見てゐた。
たどり着いた先の死と、死体のみが仰ぎ見ることのできる、死体の口に咲いた睡蓮の白い花。
美しい言葉を紡ぐこと。追い求めたものは結局、手に入れることはできなかったが、その代わりに与えられる白い睡蓮の花。