メモ:『歌え!多摩川高校合唱部』を読んで | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

歌とはなんであるか

歌は声を用いた音楽表現であると思う

歌詞に感情を乗せて聴衆に伝えること、メッセージの伝達である

芸術的なコミュニケーションであるとおもう

芸術は第三者的に評価が出来る

なんとなくその表現が、一回的に、偶然に面白いとか珍しいとか快く思うということだけでなくて、ある程度客観的に再現性をもって価値を定めることができるのではないか

コミュニケーションとは、意志の疎通である

意見のおなじひとどおしで「私たちは意見がおなじだねー」「なかよしだね」と意志の疎通を再確認し続けることも、たしかにその一種であるけれど、より本来的な姿は、意見の異なる人、共通の意見をつくるのがむつかしいようなより遠い「異質な他者」と意思疎通することであるとおもう


実力とはなんであるか

本番で出せる力のことだとおもう

練習でめっちゃすごくても、本番でへなへななら、その人に実力があるとはいわない

いつでもどこでも、力を出せること、それも実力にふくまれる

いつやるの、今はちょっとできないなあ、は、実力じゃない

弘法筆を選ばずともいう


何のために入部するか、どういう理由で入部するか

女の子がかわいいから入部する、というのは「不純」であるか

純粋に、合唱がしたいから合唱するほうが「正しい」か

なぜ合唱がしたいのか、「欲望」を深堀してみるとよい

人間の欲望は他者の欲望である

ぼくには、女の子がかわいいから入部する、と、合唱がしたいから入部する、とのあいだに、大した差があるとは思われない

ほんとうに単にそのもののためだけにそれをする、ということはできるだろうか

ある行為において、それそのものを目的とすることができるか


合唱部は運動部か文化部か

運動とはなんだろう、なんのためにするんだろう

ボルトはなぜえらいのか

彼は足が速い

足が速いというのはどういうことだろう

歴代の陸上選手のなかでタイムがいちばんはやいということだ

一番はやいというのは絶対的にはやいということではない

絶対的な足の速さなら、ぼくも、絶対的に足が速いということもできる

そうではなくて、ここで足の速さといわれているものは、相対的な速さ、他人と比べたときのタイムの短さを含意している

運動は、現状のスポーツについては、「比較評価」とそこからもたらされる「偏差値」を目指して行われているものが多い


文化部の本質はなんであるか

文化とは何か

これはむつかしい

とりあえず芸術表現について考えてみよう

それはコミュニケーションであると思う

芸術は、それを評価する観客を必要とするか

たとえば、いま、ウタダヒカルが無人島に流されるとする

聴衆はひとりもいないが、彼女が新しい曲をつくって歌うとする

それは芸術的価値をもつか

誰にも知られないウタダヒカルの新曲は芸術であるのか

本人が聞いている

本人が芸術だと思えば芸術ではないか

では、無人島にひとりでいるウタダヒカルが発狂してまっとうな意識を失ったとする

なにが芸術的でありなにが芸術的でないのか評価できない

並行世界において、もしもウタダヒカルが無人島に漂流せずその曲がCMに起用されていたら空前絶後の大ヒットになっている、そんな曲であるなら、誰にも聞かれなくてもその曲は芸術であるのか


あるいはつぎのことをかんがえる

いま、ウタダヒカルの頭のなかには新曲が浮んでいる

その楽譜が完璧に頭の中にはある

でも、もう二度とじぶんでつくった曲をくちずさんだり紙にかいたりしないとすれば、その曲は芸術でありうるのか


ショパンが生涯で最もすばらしい曲を書きそれを楽譜として紙に書いていたものが見つかった

まだ誰もそれを弾いたことがない

現実の、物理的な音にされない曲は、曲なのか


表現とは、物理的表現ではないか

01私があなたに向って「好きだ」と言う

02私があなたに向って「好きだ」という気持をこめたまなざしを送る

03私があなたを「好きだ」と思うが、物理的に身体には表現されない

ぜんぶ物理的に世界に存在するといえばする

01は、空気の振動として

02は目の潤みとして(実際には「おなかすいた」とかと誤読される)

03は脳内の電子パルスとして

ということは、やはり、それが「受け取られること」が表現のだいじな要素であるのだ


歌うのはひとりでできるかp20

大会で優勝することはなにか

楽しいから歌うのか

他人から評価されることとはなんであるか

合唱は独唱とは違うのか

どちらが歌であるのか

歌詞の解釈とはなにか

ハミングは埋め草であるか

「作詞者の気持ち」を想像すべきなのか

技術や練磨のない障害者という「可哀想な人」が書いたうすっぺらいJ-POPと、金持ちで傲慢なレイシストが書いた「ミシマユキオみたいな」美文とではどちらがより「すぐれた歌詞」であるのか

クソみたいな散文のほうが「道端の草花のような飾らない、しかし踏まれても負けない強い美しさ」をもつのか

「みんなちがってみんないい」「世界に一つだけの花」とお茶を濁しておけば「正解」であるのか

音楽は数学ではないのか

外声と内声について


組織運営とはどういうものか

集団とはなにか

合唱部の方針

顧問が変わること

指揮の仕方が違う

ある環境に合わせたガラパゴス的適応はただしいのか

合唱部とはなにをするところであるのか

合唱をするところではないのか

ピアノの演奏は合唱部の部員がすべきことなのか

指揮は合唱部の部員がすべきことなのか

去年までの合唱部の成績を越える必要はあるのか

同じ大会でも戦う相手が違う

評価者が違う

部の人間もちがう

同じ人間でもちがう場面ではちがう

精神的な意味でも、人間の生物的・物理的な構成についても、ちがう

自主性の尊重と放任は異なる


「あしたはどこから」の解釈をめぐって

希望とはなにか

青春とは何か

ひとは何の為に生きるのか

自己言及をしている

未来はうたわれなくてもくるものなのか

うたうから未来がくるのか

現実のふたつの側面

それは過去であると共に未来である