こんばんは、お久しぶりです。
なんかここのところずっと、ちょー闘ってました。
7月半ばの期末テストからこちら、転戦に次ぐ転戦です。
我ながらよく死なないもんだと思います。
集中力って、簡単に身につかないけど、とても大事です。
けれど、得たところは小さくありません。
僕はたぶん、成長の仕方それ自体が成長しているでしょう。
自分の存在の襞の、足元に落とす影がまるで生き物のように滑らかに軽やかに、踊り跳ねまわっているのを見つめる。
僕は君たちに負けるわけにはいかないと感じます。
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備忘のため
8/1:東京
8/2~5:長野
8/6~10:赤羽の社会福祉施設にて介護等体験
8/11.12:福島
8/13~15:長野
8/15~17:兵庫
8/18
8/19
この局面における主要な敵は、【免許】です。
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芥川はアイデンティティを諦めている。それは、人間の存在の条件が他者の中にあること、関係の中で規定される結節点であることに絶望したからだ。
なぜかと言えばそれは、他者への現象ということがいくらもコントロールできるからではないか。
不条理というのは、そういうことではないか。
今日的に言えば、人間の欲望は記号的に、マーケティング的にいくらもコントロールできる。「本当に欲しいもの」は、はじめから私の中にある原初の、純粋な「本当に欲しいもの」ではなくて、「はじめから私の中にある原初の、純粋な「本当に欲しいもの」だったところの当のもの」だったことにされたもの、なのである。
資本とは何か。消費社会とは何か。都市とは何か。欲望を掻き立てる装置、ファンタスマゴリアとは何か。「本当の私」なんてないんじゃないか。
ではアイデンティティとはなんだろう。彼が何者であるかということは、客観的には、すなわち他者の目の前においては、彼が何を為したかを含む、彼がどういう性質をもつかによって事後的に決定される。すること
あるいは、帰属原理というものがある。彼がどういう集団や組織に所属しているか、彼がどういう肩書きをもつかということによって彼を判断する方法である。であること
理性に基づく行動の帰属する主体性、理想の実現である。この理想、価値規範がバラバラになった。グローバリゼーションしかり、資本による血縁共同体の解体しかり世界大戦の帰結としてのイデオロギー対立の解消(一元化)。大きな物語の失墜。
歴史=物語が主体を可能にする。それが困難になる。
芥川の場合は??
第一次大戦後の失われた世代
グレート・ギャツビー
「戦後文学」と蜘蛛の糸の先の蜘蛛のようにぶらぶらとした自由
戦後日本政治史における具体的現象を確認する
労働組合の解体みなで上を向く時代の終焉、消費社会の訪れ
70年華青闘告発
倫理的な意味をももつ
撤退=逃走としての引きこもり
選択の拒否という選択と、現在の権力が向く方を現実と捉える感性。日和見主義。
その後、監視管理社会。
アニメでも検討する
ウルトラマン・ナウシカ・エヴァ
主体の否定、自己否定
教育・労働・社会の解体
住み分けと郊外
セキュリティーマンション
快楽と破滅に打ち勝てない
普遍的理念の必要性、実現
統整的理念
表象演出の時代、幇間
劇場型犯罪と劇場型政治
不条理と他者
流れと力と無意味
完全なる否定は死であるか
カミュ
自由民主主義の極北
監視管理主義以外に道はあるか??
フラクタルという可能性?
半分主体、相同性、マルチ帰属、レイヤーの集積?
ファシズムという可能性?
自由民主主義の失敗
共産主義の失敗
強固な幻想的共同性とそれへの埋没。人類補完?
文学は不条理を克服するか。克てなければ、ファシズムの逆さ飛行を続けるしかない。克つのならば、飛行機をソフトランドさせるか、さもなければ爆破することになる
確固たるアイデンティティ→フラクタルな、多元的な中間的主体性→拡散、概念の外、不条理、実存の順にグラデーションになっています
どこからみて、「正しい」と言えるのか。
三つの水準として、対自、対他、共同(普遍)を考えています
目的は自己拡大、贈与的愛、正義(自由平等博愛)です
私の自由、強くなるためには、責任が帰属する主体が必要だと思う
あなたを愛する(に/愛される)ためには、それが暴力的であったとしても、責任が帰属する主体が必要だと思う
正義の実現には主権と主体を欠くことが出来ないと、今は思っている
不条理を克服できず、十分な強度をもたずフラクタルな中間性が結局解体されていくほかないのであれば、自由を諦めるしかない
そのときにはぼくは、日本的なファシストになるでしょう
時間がない、状況を見極めなければなりません