13/07/26 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

しかしやなせ先生は偉大である。

生命と自己犠牲について、こんなに易しい表現を僕たちはほかに知らない。


アンパンとばい菌なら幼稚園児にも伝わる。

しかし、自己犠牲はいつになってもわからない。


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2011/07/26


前期もクライマックス、いよいよ盛り上がって参りました!


まづ云いたいのは、忙しい忙しいと連呼することの虚しさについて。

忙しいと唱えることは忙しさの減少になんら資するところがない。

さらに、ぼくが忙しいとしてそれがいったいどうしたというのか。

この二点については指摘しておきたい。

というのも、5歳のぼくも10歳のぼくも15歳のぼくもおなじことを言ったろうから。

いそがしいと言うことの価値は限りなく皆無であろう。


単位が目的なのではない。

学ぶことそのものがもたらす愉悦というものが世界にはある。

そういうことをいつか書いた。

単位は目的ではないということの意味するところをただしく捉えるためにもうすこし掘り下げて考えてみよう

このことはたぶんふたつの契機を内包している


第一に、学問を単位という功利的観点から遠ざけるということ。

こちらは簡単だろう。

単位のような浅薄な目的を外部に立てて学ぶことは下品であるうんぬん

でもこのことは単位は目的ではないということの一側面に過ぎない。


第二に、学問とは他に純粋に単位を目的とする勉強という領域を設定することでもある

それが学問でないならば単位を目的とする勉強は退けられない

これこそが肝心だ

なんでこんなことを勉強しなければならないんだろうガクモンってのはまずはじぶんの好きなことを学ぶことではないのか?いやいやさせられる勉強は真には勉強ではないのではないか?

長く、そういう問いにとりつかれて歩いてきた。

単位を目的とする勉強を理想的な学問と峻別することこそがその処方箋であるというのがぼくの結論である


というわけでみなさん、単位が欲しいなら黙ってそのためのテスト勉強なりレポート作成なりをしましょう

べつにいらないならさっさとやめましょう


つぎはフラ語とノルウェイの森批評

パスカルと文法は夏の課題


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そうですね。


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2012年はろくに書いていない。

この周辺で次に書いているのは…


12/08/20


こんにちは。

僕もいよいよ本当にいろんなことから解放された夏休みに入りました。

のんびり大事に使いたいなと思います。


で、いきなり出鼻をくじかれたかたちになってしまったのですが、数日前ブラクラな夢をみて未だになんとなくひきずっています。

契機になった出来事が先月くらいにあったんですけどね。

夢の中で気を失ったのははじめての経験でした。

うううう…。


燃え尽き症候群ですかね。

前期の反動か、心身に力が入りません。

ひどく後ろ向きです。

いけませんね。


それで、えっと、一般論として、恋愛というものは、数量的評価にはちょっと、馴染まないものではないかなと思います。

すごく悲しいです。


新しく元気のよい明るい気持ちで、真人間になろうと思います。


家と労働を考えています。

対幻想と共同幻想の切迫に、押しつぶされそうです。

けれども他方で、必要は本質を意味しません。

私たちは生活の必要に追われて情況に埋没するのではなく、天下国家のことを考えるべきです。


気持ちがひどく落ち込んでいるようです。


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おお…


私たちは生活の必要に追われて情況に埋没するのではなく、天下国家のことを考えるべきです。


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もう少しでテストが終るので頑張ろうと思う

レポートもあと一本