近代は、
今ここの「短小な」「敵対的な」「前衛的な」「対立的な」「低級な」「浅薄な」「矛盾した」「断片的な」「微視的な」「卑賤な」「汚濁の」「周縁的な」「野蛮な」「女性的な」「冷淡な」「怠惰な」「軟弱な」「幼稚な」「狭い」「疎な」「恣意的な」「悪逆な」「誤謬の」「ねばねばした」「不純な」「暗い」「劣敗の」「醜い」「蒙昧たる」「不快な」「貧しい」「部分的な」「内閉的な」「愚鈍な」「軽佻浮薄な」「平面的な」現実を、
まだ実現されていない「長大な」「友好的な」「伝統的な」「協調的な」「高級な」「深奥の」「整合的な」「総合的な」「巨視的な」「高貴な」「清潔な」「中心的な」「文明的な」「男性的な」「親切な」「活発な」「強固な」「成熟した」「広範な」「密な」「一貫した」「善徳の」「正しい」「さらさらした」「純粋な」「明るい」「優秀な」「美しい」「啓発的な」「快適な」「豊かな」「全体的な」「開放的な」「俊敏な」「重厚謹厳な」「立体的な」理念へと変革しようとする運動である。
そもそも二項対立に基づく認識は人間にとって普遍的な思考様式であるけれども(意識の成立は「不在」に触発される「在/不在」の感覚に求められる)、①二項対立を実体視し(あるいは現実を二項対立によって相対化し)、②理念を達成することが可能だと見なす態度は他には見られない特徴だろう。
したがって、近代性は、世俗的合理主義(変革可能性を信じること)と目的的成長主義(変革への意思)の二性質によると考える。
ところで、「劣った現実」に「理念性」を、「優れた理念」に「現実性」を代入する思考も近代である。
あるいは「劣った現実」に「近代」を、「優れた理念」に「脱近代」を代入する思考も近代だ。
よくあるダメな作文は「感動しました・反省しました・これからは頑張りたいです」というチープな展開をたどるけれど、これは近代のカリカチュアとして機能しているように思う。
「優れた理念」に感動し、「劣った現実」を反省し、「まだ実現されていない理念」へと努力する。
ほらね。
さらに、近代は理念=イデオロギーか現実=フェティシズムかという二項分節のことである。
イデオロギーとは脱魔術化された宗教のことだ。
フェティシズムはニヒリスティックな欲求肯定主義のことだ。
イデオロギー・対・フェティシズム
枢軸国・対・連合国
全体主義・対・個人主義
共産主義・対・資本主義
社会党・対・自民党
イスラム・対・アメリカ?
そして近代の難点は「理念」か「現実」かという二項分節そのものである。
ス・カ・ス・カのモラルか、遊びまわる為の金か。
空転する政治や学問か、「All you need is money」か。
戯れのニューアカか、「真=学歴・善=財貨・美=整形」の三位一体か。
ピーマンかサルか…。
ぼくは諸君のいずれにも与しない第三の「人間」である。