僕は彼女のシャツのボタンを全部はずし、手のひらを乳房の下に置いてそのまま彼女の体を眺めた。
「まるで生きてるみたいでしょ」と彼女が言った。
「君のこと?」
「うん。私の体と、私自身よ」
「そうだね」と僕は言った。「たしかに生きてるみたいだ」
(村上春樹、『羊をめぐる冒険(上)』、講談社文庫、2006年第5刷、243頁)
「まるで生きてるみたい」!
先だってぼくは『風の歌を聴け』の感想にこう書いた。
読み返して思ったのは、「僕」若いなー。こんなんだったっけか。空気がじりじりしてていいよね。「僕」が鼠と一緒に山の手のホテルにあるプールで泳いでる描写がある。アクティブだ。まるで鼠が生きてるみたいな感じがする。
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/8322959
生きている人間に向って「まるで生きてるみたい」とはヘンな言い種だ。
つまり、この言葉をそのまま真に受けると、この女の子は死んでいるということじゃないだろうか。
ちなみに、ぼくは鼠もあるいは死んでいるんじゃないかと思う。
あまりに生き生きしているからね。
もうひとつ。
それから僕はアパートの駐車場から廃車寸前のフォルクスワーゲンを出してスーパー・マーケットにでかけ、キャットフードの缶を一ダースと猫の便所砂と、旅行用の髭剃りセットと下着を買った。そしてドーナツ・ショップのカウンターに座ってほとんど味のないコーヒーを飲み、シナモン・ドーナツを一個かじった。カウンターの正面の壁は鏡になっていて、そこにドーナツをかじっている僕の顔が映っていた。僕は食べかけのドーナツを手に持ったまましばらく自分の顔を眺めていた。そして他人はどんな風な思いで僕の顔を見るだろう、と考えてみた。しかしもちろん他人が何を思うかなんて僕にはわからない。僕は残りのドーナツを食べ、コーヒーを飲み干してから店を出た。
(同上、239頁)
このドーナツ・ショップってたぶん前作『1973年のピンボール』で語られた、第一作『風の歌を聴け』の冒険を終えた後、同70年の冬「僕」がピンボールをするために入り浸っていたゲームセンターの跡地に出来た店じゃないだろうか。(わかりにくいんだけどさ)
でも、違うかも。
ゲームセンターがあっと言う間に取り壊されあっという間に忘れ去られたように、71年にオープンしたドーナツ・ショップが78年まで残っているかと言われたら、うーん。