書を読むということ | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

テクストとは、たくさんの人間の影がわらわらとうごめいて

いるような、不穏な、無数の異なった文脈からなる力の緊張、

そういうハイブリッド・キマイラ・複合体なんだとおもう。
一元的、全体的、官僚的組織ではない。


だから作者-読者の単線的な対面ではなくて、未決定的な、

可塑的なもやもやを思い浮かべた方がいい。


意味=価値を押し付けられるか、あるいはそれにいくらでも抵抗

しうるのか。

抵抗というのもやはり単線的対面ではなくて、明瞭な物語に回収

されない「鈍い意味」を指摘することをとおして「ちょっとずらす」、

そういうことだろう。


だから読書、というのは「私が本を読む」んじゃなくて「本が読む」

というような事態だ。

まったくハクロが言うように、私はもう私ではない。

私が私が考えるようではないように考える、もはや私ではない、

そういう無茶苦茶なことが、読書する人の上では起きているんだ

と思う。


嫌な夢を見る、目が覚める。もう寝付けない。

ありえないような、逼迫してくるような、うるさいまでの静寂。

空が白んでくる、目がかすむ。


夜は短し、読めよ若人!