「コンテンツの思想」を読む。 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

『コンテンツの思想』を読む。

東浩紀他


対談本。

たいへん勉強になる。これはオススメ。


市川中央図書館で借りたものなので、ぼくの中で

プライオリティが高い。いや、こっちの話。


・伊藤剛さんの『テヅカ・イズ・デッド』はすごく読みたい。

新海誠、西島大介両氏は、名前は大変よく聞くけれども、

新海作品は全く触れたことがなく、西島作品は『ディエンビエンフー』を

しえろさんに借りてぱらぱら読んだ程度。


・東・新海・西島の鼎談の中で村上春樹の名前が挙がったのは

面白かった。

「あ、やっぱり『世界の終わり』をプレ・セカイ系として読むのは的外れじゃ

ないんだな」って思った。

西島さんは読んでないみたいだけど、新海さんは読んでるんだって。


・マンガ、アニメ、ライトノベル、フィギュア、同人活動、などなどにおける

想像力であり表現を語ることば、というものは、従来の美術・映画・文芸

評論では追いつかないんだっていう東氏の指摘は、なるほど!と

思わず膝を打った。


メディアミックスとか、二次創作、では、物語データベースとキャラデータ

ベースの二軸が、ん?キャラクターデータベースだっけ?

本書ではキャラとキャラクターは概念として分けて考えられている。

その定義はとりあえずは『テヅカ』での伊藤さんのものに沿って扱われる

んだけど、ぼくはまだうまくわかっていない。


東さんの簡略した説明ではキャラクターは作品に従属するもの、キャラは

作品を超えて広がるもの、としていた。

データベースということは、「キャラ」だと思う、たぶん。


確認してみる…。

…!

キャラクターと書いてある。

(p190l3)


ま、いいや。


従来の評論やビジネスサイドからの解釈だけでは「ニッポンのオタク」は

読み解けないよ、ということが東氏の態度。


それで、その乖離を架橋する思考として、ぼくが依拠すべきは、

まずは大塚英志氏であろう。

彼の本を読み漁るのが必要。


でもとりあえずは新海作品に触れたら良いかも。


・固有名ってたぶん分析哲学の概念だよね。

クリプキさんが考えてたとおもう。

ぼくが最初に手に取った「哲学のエッセンス」シリーズは、そういえば

クリプキだった。

わかったかというと、そうでもないけど、まあ多生の縁を感じるよねー。


固有名よくわかんない。


・「乳輪問題」はアホで笑いました。

いや、いいとおもいます。

どっちでもいいけどみくるさんの乳輪は小さいと思います。

願望が含まれているだけです。でもそんなにこだわりもないです。

「大きいことはいいことだ」クラスタのみんな、ごめんね。


・ってか「ファウスト」はすごかったんだね。

今やみんなすごいものね。


長くなったので記事切っちゃおっと。



ところで、

ぼくが読んだ本の詳細は基本的に読書メーターを

参照してください。

あすこに全部登録しています。

最近はよんでいないので登録しておりませんが、

エロ本でも読めば全て登録します。


誤読を恐れずふるまう、そういうことです。


□読書メーター - hyoroさんの読書メーター

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