語りとはなんだろうか。 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

語りが現象する為には三人の人間が必要だ。

それは、「呼ぶ人」=「君」、「応える人」=「僕」、「答える人」

=「他者」である。


「他者」というのは、指し示すもののことで、指し示されるものの

ことではない。

指し示されるものはどこにもない。


みんなそのことを忘れてしまっているけれども、この太初の

忘却はなかなか悪くない。

忘れていることは忘れられてもいい。しかし、「忘れたことを忘れて

いること」は忘れられてはならない。


「僕」を存在者、「他者」を存在と呼びかえることができる。

「僕」は持つ人で、「他者」は何も持たない。


「僕」にできるのは、ただ応えること。

「僕」は通訳するだけ。

「僕」は文体であり、記号である。「他者」の代理表象にすぎない。


そして、「君」は、きみだ。「君」がいなければ、ぜんぜん話は

始まらない。

電話のベルが鳴ったとき、ぼくはパスタを茹でているところだった。

やれやれ、全くね。「必要になったら電話をかけて」。


でも、「君」が「僕」を呼ばなければ、ぼくはパスタなんか茹でちゃ

いなかったろう。

どういうことか。


じゃあ、なぜきみはこの文章を読んでいる?

ぼくが書いたのを、たまたまきみが読んだから?

ちがうだろ、何言ってるのさ!

きみが読むというから、ぼくは書いたんじゃないか。


何の話かわからないかな。

どうかな、まあいずれわかるだろう。

焦ってはいけない。耳を澄まして。きみを呼ぶ声を待つんだ。


その声が教えてくれるのかって?

違うよ。誰も教えたりしない。

きみが呼び声に応えたとき、きみにはもうわかっているだろう。


わかりにくいか。えーと、僕がきみで、君がぼくなんだ。

それがこんがらがってるよね。


今これを読んでいるきみ、そうそうきみ、きみを仮に

「ハイホーくん」と呼ぼう。

え、だってきみが呼んだんじゃないか。だからハイホー。


で、僕はいつもの「ひょろ」だ。どうも。

でもぼくはただ応えているだけだよ。


もう一人役者が必要だ。紹介しよう、彼が「うなぎくん」だ。

ぼくはあんまりうなぎは好きじゃないんだけど、うなぎなるものは

うなぎと呼ぶのが一番すなおでわかりやすいだろう。

だから「うなぎくん」。

そんなの、うなぎくんに文句言っても仕方ないだろう。

うなぎなるものはぬるりとしたうなぎなるものなんだから。

ね、うなぎくん。


さて、まず、ハイホーくんがひょろに挨拶をした。

「ハイホー。」

ひょろはとりあえずそれに応える。「ハイホー。」

ひょろにはわからない。なぜハイホーくんはひょろに「ハイホー」

なんて言ったんだろう。それを言うことによってハイホーくんは

つまり何が言いたいんだろう?


「挨拶」とはどういうことか。挨拶は、「よく似ているけれど私とは少し

違う人」にだけ向けられる。

挨拶とは、「あなたはだぁれ?」という問いに他ならない。

そんなこと、ひょろが一番知りたいことじゃないか。わかりっこない。

ひょろはとにかくも、ごにょごにょと話してみる。

そのとき、ひょろの中でうなぎくんが何かを語る。

うなぎくんの語りがひょろの口をついて出る。


ひょろが語ったときに、はじめてひょろはひょろについて知る。

でも、ひょろにはそれではぜんぜん足りないことがわかってる。

だから、ひょろは知りたいと思う。もっと話したい。


さあ、今度はハイホーくんの番だ。

ハイホーくんはひょろの話にとりあえず何か返さないといけないと思う。

ハイホーくんが話すことができたのはいつでも、ハイホーくんが

話したことだけだったろう。

ハイホーくんは「ハイホーくんとは誰か」ということだけしか話せない。

あるいはハイホーくんが話したことは全て、同時に「ハイホーくんとは

誰か」という問いの答えとして機能する。

そして、ハイホーくんはまさに、「ハイホーくんとは誰か」の答えをこそ

知りたいわけで、そんなこと知っているわけないじゃないか。


でもハイホーくんはとりあえず何かを話そうとする。

そのとき、ハイホーくんの中でうなぎくんが語る。

うなぎくんの語りがハイホーくんの口をついて出る。


ハイホーくんが語ったときに、はじめてハイホーくんはハイホーくんに

ついて知る。でも、ハイホーくんにはそれではぜんぜん足りないことが

わかってる。

だから、ハイホーくんは知りたいと思う。もっと話したい。



さて、わかっただろうか。


語りってそういうものじゃないのって話したことはつまり「僕は誰か」という

問いの答えであり、それこそがぼくの一番知りたいことであって、そんなの

ぼくが知ってるわけないじゃないか!


…というようなことです。