「失恋ゲーム」の起源 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

あのね、むかし、ニーチェっていうひげのおじちゃんがいたのね。


この人は、それはもうどうしようもない偏屈クソジジイだったん

だけどね、それにはね、彼には彼なりの理由があったんだ。


クソジジイもかつては青年だった。

ニーチェには片思いの女性がいたんだ。

名をルイーズ・フォン・ザロメといい、自由を愛する才女だった。


で、ニーチェの友達のパウル・レーを巻き込んで三角関係になり、

(ニーチェに好意的に書けば、ということだけど)

結局ザロメはパウル・レーを選び、ニーチェの恋は敗れた。



ニーチェの哲学は超のつく潔癖症みたいで、ホントに容赦がない。

その切れ味のよさと躍動する霊感は、この失恋から来ている

と考えていいと思う。


例えば、ニーチェの「超人」という術語は、

フラレちゃった女の子が「あたしもうダメだよ、立ち直れないよ。

なんでクミコはそんなに強いの?「超人」だよ。」って話ですから。

いや、マジで。


これを言うとニーチェが怒り狂って泣き崩れるかもしれないけど

僕にはニーチェの気持ちがちょっとわかる。

わかるけど、わかんない。わかんないということが、わかる。




「振られちゃったんだね。君のキモチすごくわかるよ。

つらかったね。かわいそうに。」

なんて言われたら、肌が粟立ち、咽喉をかきむしって

僕も死んでしまうと思う。


同情ほど醜い感情はない。


恋愛だけがリアリティをもたらすんだ。

キリスト教道徳なんて、どうしようもなく不潔だよ。