ごにょごにょ、と僕は口の中で何か判然としない言葉を転がした。 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

・「乙女の演説」について。


* * *


例えば…そうですね。某マンガで、

「ジョニーチョンギルゾ!ジョニーチョンギルゾ!」

ってのがあって、お腹がよじれました。


* * *


この某マンガとは、サイボーグクロちゃんです。


読み返してみたら、セリフは正確には

「チンコチョンギルゾーチンコチョンギルゾー」

でした。


ジョニーとは森見登美彦作品のスラングで、

アニメ「東のエデン」でも踏襲されています。


で、僕が言葉を言い換えたのは、もちろん、

相手が女店主だったからであって、

ここではそれは乙女的恥じらいというものであります。


翻って、ジョニーイズムなるものの、

ラカンっぽさというか、日本社会の病魔の一面的な「診断」を、

男子校っぽく脱臼させる響き、みたいなのを感じて

くれるとうれしいです。


□「わからないこと」を怖れる人々

http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10348537868.html

(このブログです)


□サイボーグクロちゃん - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93


このマンガは非常に奥ゆかしいギャグマンガです。

僕に言わせれば、「背骨のあるタフな」作品なので、

猫が街中でガトリング銃を乱射するというぶっ飛んだ

世界観に負けないで、みんな読んだ方がいいと思います。


ギャグマンガなのでどこから読んでもいいんですが、

5巻と8巻は一冊ずっとクロちゃん的日常を離れてしまうので

どれか一冊だけ読むのなら避けた方がいいです。

あと、最終巻(11巻)も、いきなり読んでしまうのはちょっと

もったいないので、オススメしないです。あれは11冊目に

読まれるべきだと思います。



・「見ていないことを見ていないことについて」補足。


これまたフロイト学派的に、もうひとつ、「見ていないことを

見ていないこと」のあり方に気づきました。


「自分自身」という答えとかぶりますけれども、特に指摘しておくと、

それは、「自分で認めたくない自分自身の欲求」。


変なことを言いますが、今僕は、「僕なるもの」の存在を疑っています。

「「僕なんて存在しない」と僕は言った。」とは、おかしな状況です。

でも、この観点は非常に重要であり、議論が必要だと思います。


ここでは、「自分で認めたくない自分自身の欲求」が確固として

実在している、というのではなく、そのように思えるし、また、そのような

ものとして取り扱うことで、僕たちにとって、何らかの便宜がある、と

いうことをプラグマティックに提唱しているわけです。


「自分で認めたくない自分自身の欲求」とは、例えば性欲があります。

これは、どんな聖人君子にも否定しがたい。


乙女的立場からも(この表現が気に入りました)、避けては通れない

問題です。というのは、例えば、「男女間の友情は可能か?」みたいな

命題系があるからです。


「僕たちは固い友情で結ばれた仲だ。互いを裏切ることはない。」

みたいなことを約束していても、お泊り会みたいなことをして、

君の寝顔を見た途端、


僕の瞳が小刻みに揺れ始めた。

心臓が早鐘のように打ちはじめ、呼気が荒くなる。

僕の脳裏に、自動筆記人形の打ち込んだ文字が現れてくる。


ジョニーハ私ノ元首ニシテ統帥権ヲ総攬ス…


いや、ダメだ!!頑張れ僕!高邁な精神を以って友情を守れ!

「ぐおおお、だ、だいじょうぶだ…。」


「むにゃ…。」君は気の抜けた寝言をついて、寝返りを打った。


ぶちっ(何かが決壊する音)


で、結局、ルパンダーイブ!みたいな?


ってか無理だよね。うんうん。


・「木曜日の長い午後」について。

とりあえず、タイトルを決めました。

「地球の長い午後」というSF小説から。

友人がおもしろいから読め、と言ってくれたのですが

未だに読まずじまい。


タイトル決まったなら早く書きんしゃいってことですが、

書こうとすると、意識が自由気ままにトリップしていって

しまいます。


メタ的には「その作品について考えていると想像がとりとめもなく

広がっていく」ということが名作の証なんですけれども、

そうであればこそ、いよいよ、考察を加えることは有意義なはずです。


一応言い訳をしておくと、直近のこのブログの記事ふたつは

(「見ることについて」と「乙女の演説」)、木曜日の二作品から

刺激を受けることで発生してきました。


そんなかんじです。