解釈の誕生 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

 解釈とは、文章表現に欠落した要素を補う操作です。


三段論法を完全になぞった文章の場合、それが演繹的に

正しいかどうかは、論理的に必ず判断できます。

それに加えて、前提の蓋然的な正しさが示されれば、

その表現の意味に不明な点はなく、自由な解釈の余地は

ほとんどありません。


しかし、文章表現から三段論法の三つの要素のうち、

どれかが欠落すると、解釈が発生します。


欠落した要素の数によって場合分けをして考えます。


ⅰ.要素が一つ欠落した場合


この場合は、技巧上の微妙なニュアンスは別にして、

大意において、欠落した要素を一意的に回復することができます。

その必然性は、三段論法の演繹の働きによるものであり、

欠落した要素の輪郭が浮かび上がって見えてきます。


01:大前提(論拠)…麺類は旨い

02:小前提(情報)…うどんは麺類だ

03:結論(主張)…うどんは旨い


・01が欠落した場合

「うどんは麺類だ」から「うどんは旨い」。

→隠れた大前提…「麺類は旨い」


・02が欠落した場合

「麺類は旨い」から「うどんは旨い」。

→隠れた小前提…「うどんは麺類だ」


・03が欠落した場合

「麺類は旨い」し、「うどんは麺類だ」。

→隠れた結論…「うどんは旨い」


ⅱ.要素が二つ欠落した場合


多様な解釈が可能となり、すべての解釈が

互いに等価なものとして無数に立ち並ぶことになります。


01:大前提(論拠)…猫は空を飛ぶ生き物である

02:小前提(情報)…タマは猫だ

03:結論(主張)…タマは空を飛ぶ生き物である


・01(論拠)だけしかないとき

教訓とか箴言といったものに当たります。


「フッ。猫は空を飛ぶ生き物なのさ。」


説教くさいです。

これだけであると、個別的な状況(小前提)がわからないので、

このセリフだけを取り上げて議論をしようとすると空転してしまう

ことになります。


・02(情報)だけしかないとき

ただの、事実についての説明になります。


「タマは猫だ」


これについては、議論の余地はないように思います。


・03(結論)だけしかないとき

ただの、何かの価値についての信仰告白でしかありません。


「タマは空を飛ぶはずだ」


これだけで相手を納得させようとすると、説得ではなくて、ただの

価値の押し付けになってしまいます。


説得には論拠と情報が必要だということがわかると思います。


ⅲ.要素が三つ欠落した場合


表現から論拠と情報と主張を取り除くと何が残るでしょうか?

挨拶とか?

挨拶は意外と取り扱いが難しい表現です。


でも、議論には適さないと思います。


この分類はよくわかりません。


□傾向と対策


議論において、「妥当な解釈かどうか」という線引きが問題となるのは

ほぼ全てⅱのときだと思います。

さらに、その中でも、論拠だけ、あるいは情報だけの文章に比べて、

ずっと問題になるのは、主張だけの文章のときです。


このとき、読解する人が文が発しているだろう主張についての論拠や

情報を「仮定」として設置していく必要があります。

「Aのとき」、「BはCだと仮定すると」など、条件付けによって主張の適用

範囲を制限することで理解を試みます。


しかし、その仮定はあくまで読者のものであり、主張だけの文章は、

一意には決定されない開かれた文章表現として、扱うべきです。