どーすかΩの正義論 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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ⅰ.天秤の原理

公平なき正義は堕落である。

彼等の差異を許したまえ。

越境せよ、媒介せよ、調停せよ。

真摯で誠実なキャッチャーたれ。


ⅱ.剣の原理

力なき正義は無能である。

異なる彼等を救いたまえ。

抵抗せよ、解放せよ、建設せよ。

高貴で攻的な表現者たれ。


ⅲ.正義の不可能性

表現という堕落、公平という無能。

表現単独によっても、公平単独によっても、

正義は実現されない。

さらに、二つの原理は互いに否定しあうため、

両立不可能である。


正義なき力は圧政である。

すべての行為は他行可能性の排除を伴う抑圧、

すなわち権力である。

存在は、連続する、本意からの行為である。

したがって全ての存在者は不当な権力者である。


不当な権力者は、不当な権力を揮い、不当な抑圧的

行為を遂行する。


ⅳ.挫折と孤独

不正義を憂う者は、行為を嫌う。

彼は、詭弁よりも沈黙を、欺瞞よりも孤立を、

排除よりも退去を、選ぶだろう。

彼の行く末には、静謐な眠りだけが、待つ。


ⅴ.誰も絶望していない

ⅳには納得できない。何かがおかしい。

たぶん、ⅲが嘘だ。

たしかに、原理的には、全ての行為は抑圧的である。

けれども、実際的には、世界はもう少し広い。


それから、天秤の原理と剣の原理とは、両立しうる。

公平が達成されたら、攻的な権力は解体すればいい。

一時的な権力は、その正当性を、他者に委ねるべし。


しかし、最後に程度問題が残る。

たった一人の被・抑圧者のために、力は所有されるべきか。

場合により、イエス。力には二種あるのではないか。

たった一人の発言が多くの人を動かすこともある。

説得する力は、必ずしも権力ではないように思われる。


その辺に可能性と問題があるように思える。