「やわらかいテクスト」と「硬いテクスト」について | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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「ウワバミ/麦藁帽子のイラストの話し」から学んだことだけれど、

テクストには二種類あると考える。

一つは、あいまいな言葉で表現されることもある、ゆるやかなコンテクスト

に縁取られた「やわらかい(開いた)テクスト」。もう一つは、言い訳が多いと

見なされることもある、コンテクストでがんじがらめにされた「硬い(閉じた)

テクスト」。


全ての「発話者」はこれら二種のテクストの性質の違いを良く知り、状況に

応じて適切に使い分けることが要求される。

言い換えれば、発話者は自由に、戦略的にこれら二つのテクストの内

から、より自分の目的に適したものを選択することが可能である。


尚、二種類のテクストとは言っても、全てのテクストを二つのカテゴリーに

分けることが可能だというのではなく、これらは程度の違いとして、その

性質がゆるやかに広がっているのが観察される。両極に、無限の解釈を

許す理想的なやわらかいテクストと、一意に決定される理想的な硬い

テクストを想定し、その間に微妙に色合いの異なるテクスト群が

グラデーションのように並んでいるようなイメージで捉えるものだ。


やわらかいテクストと硬いテクストにはそれぞれ、メリットとデメリットが

ある。


やわらかいテクストのメリットは、硬いテクストのような、コンテクストの

配置の手間がかからないこと。多義的で、柔軟な議論の呼び水になる

こと。そして、その多義性から、「誤解釈」を「他解釈」のように取り扱い、

高齢者介護で用いられることがある「パッシング・ケア」のような、

やんわりとした応対が可能になること。やわらかいテクストの発話者が

誤解釈をしたときにはやわらかいテクストは発話者を守り、本当は議論

のすり替えに過ぎないけれども、逃走と体勢の立て直しを許す。

やわらかいテクストへの「対抗者」が誤解釈をしたときには、今度は、

やわらかいテクストは対抗者を守り、発話者と対抗者との間に存在する

「議論の場」に亀裂が入ることを避けて、コミュニケーションを円滑にする。


やわらかいテクストのデメリットは、そのまま、多様な解釈を許してしまう

こと。対抗者にとっては、それは、攻め手が大量に用意されることになり、

とても有利になるだろうし、発話者にとっては、四方八方から繰り出される

攻撃に対してどうにかして身を守らなければならなくなり、不利になること

だろう。そこでは発話者には柔軟な対応が求められる。


やわらかいテクストは、「ノーガード戦法」というか、小回りが効き、

スピードに長ける。「肉を切らせて骨を絶つ」ような論法?

オセロ・ゲームの「開放度理論」の考え方に近いかもしれない。


硬いテクストのメリットは、発話者がコンテクストを重ねれば重ねるほど、

テクストの「可能解釈域」を限定できること。相手の攻め筋を予測し、

早くから準備が可能である。議論の方向性を相当コントロールできる

だろう。そして、何よりも硬いテクストの最大のメリットは、「約束(契約)」を

可能にすること。社会の構築も、発展拡大も、硬いテクストなしには、

ありえない。


硬いテクストのデメリットは、コンテクストを張り巡らせるのに時間がかかる

こと。硬直的で、特に、対抗者の閃きを許容しない。そして、どれだけの

コンテクストを重ねても、いくらかは発話者にとって思いもよらないような、

他解釈の余地、「死角」が残ってしまう。ここを突かれると、とても脆い。


例外のない法はなく、また、規範なくして意味もない。