4、5回リライトに挑戦して挫折してしまいました。
「正視」はその副産物でもあります。
もうノー内、煮だった鍋の如しってことで
まるでぐちゃぐちゃです。
へるぷみー。
もう座薬売って全部出すか、みたいな感じで。
あ、ごめん、食事中に。
とりあえず言いたいことの枠組みを書いてみます。
これをマトリックスにあろけーとすりゃあ立派なFWっすよね。
原液どろどろで!
自殺する人がいる。僕はそれを止めたい。
経済的、あるいは心理的な原因があるならば、
(わかっちゃいるけど、やめられない人)それを除けばいい。
だが、ただ死にたいから死ぬ人を止められるだろうか?
人間は生も死も知らない。
(リストカットはその境界を探る行為でもある)
孔子曰く、「未だ生を知らず。いずくんぞ死を知らん」
あらゆる価値観は共存すべき。
but対立する欲望があれば政治が調停
→ここはつっこまない。相対主義でマジでぐずぐずになる。
僕にはまだぜんぜん荷が重いし、500字じゃまず無理。
なぜ自殺だけが許されないのだろうか?
死について知りえないのに。
自殺のよくない?ところは可能性を殺すことに
あるのではないか。生きていれば、多くの欲望を
満たす可能性がある。
自殺しようとしている人が、「自殺したい」という欲望以外にも
欲望をもっていれば、それを指摘すればよい。
でも、他に無いのであれば、説得は無効。
あるいは、あっても、それもまた社会的に許されない
欲望であれば、同様。
たとえば、人を殺したいとかね。(これは更にきびしい)
また、欲望自体には貴賎の差は無い。
あるのは社会的に、生産的かどうかという基準だけではないか。
いずれにせよ、説得が無効だった場合、
その人は生に価値を認めていないことになる。
それは可能。死が拠り所になるから。
でも、生きている人にとって、それは不快。痛いところを突かれるから。
人間のオリジナリティは発展への欲望によって成立している。
白紙の部分、フロンティアが不可欠。
アウトソーシングというか、しわ寄せ、ねずみ講、ばば抜き、
まるなげ、おしつけ、えとせとら、えとせとら。
「もっとよくなりたい」は現状の否定を伴う。
発展が可能な程度には技術があり、
発展し終えてしまうほどには技術がない、ほどほどの文明。
記憶は、奴隷道徳の産物。
(にわとりとたまごかもしれない)
資本主義がここまで発展できたのは、
人間の、オリジナリティの欲求に答えることが出来たから。
オリジナリティが、生者が価値を全面的に否定するところの
死を基盤にして成立しているという構図が浮かび上がる。
めーびうす。
結論。彼女を止めることはできなさそうだ。