こんばんわ。
まだ、宙ぶらりんの状態です。
しばらくはこのままになると思います。すいません。
コノートかハッタリか。それが問題だったのだが。
コノートかハッタリかが問題になるようなケースは
現在では、周囲の者が直接糾弾せずに実に「資本主義的な
やり方」で本人の知らない内にシステムから掃きだしますね。
「皆」、もはやこの問題が未解決の内に立ち消えてしまったように
振舞っています。
しかし、微妙な「発言」をした当人と「皆」の代理人である
社会システムとの間でコノートかハッタリかが争点になる場合が
あります。こういうときはその時々で社会システムにとって便利な
方に判断されて、これまた当人の弁解が省みられることなく
システムから排除されます。
なぜこうして時折、思い出したように「発言」の問責問題が
浮かび上がって来るのかといえば、匿名的掲示板は未だに
成立してないからですね。
というか、絶対的な匿名は僕には想像できません。
自我が物理的身体に依存する限り、(主に脳)
ネットにアクセスした瞬間、書き込んだ人間と対応する
身体が空間的にどこかの地点に存在するわけですから
確実に捕捉されます。
要するに、コノートかハッタリかは、発言する当人にとって
問題でなくても、常に不利に働くというのが現状な訳ですね。
というわけで、
「コノートかハッタリか。それもやはり未だに問題である」
へい、そんな感じです。