人間も商品かな・・・ | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

『ぼくらの経済民主主義』三ツ谷誠

NHK出版

第一章商品に囲まれた世界

1モナド資本主義


大体はまあ、納得した。

でもやっぱり


「物語」を「消費」すれば、

「欲求」からの疎外感からは逃れることができる。


こればかりはちょっとなあ。確かに、ほとんどの

欲求は「消費」によって埋めることができるとは

思うよ。だけど、「人間」まで「消費」するものだと

いうのはおかしいような気がする。


僕達は別に「人間みたいなもの」「つながりみたいなもの」

「友情みたいなもの」が欲しいんじゃない。

「帰るべき場所」は必要だと思う。

だけど、テレビドラマからはリアリティを感じないぞ。


僕は確かに、ホールデンのゴーストを感じた。

だからどこかに抜け道はあると思うんだ。


まだちょっとわかんないかな。


あと、日本的資本主義を脱却するためには

やはりまだそのうちにあるわけだから、

限られた個人の決定に拠るほかはない。

やっぱり英雄が社会をデザインするしかないのか?






以下、引用です。



近代は個人主義の時代と云はれるが、しかし、近代は

むしろ自主性なき大衆の時代であって、却て真に自主的な

個人は見当らない。


現在に於て英雄的指導者、フューラーが求められるのも、

自主性を奪はれた大衆が自らに於て失った主体性を指導者に

於て見ることによって、自らの頼るべきものを見出し、

自らを慰めんとする試みではあるまいか。

競馬の流行、ラグビー、拳闘の隆盛も、実は機械化、

合理化への無力な鬱憤晴らしにすぎない



引用はここまで。



□廣松渉『<近代の超克>論』

-昭和思想史への一視角-

http://www.ihope.jp/modern.htm

※こちらからの引用です。