忙しいというのはそんなに悪いことじゃないと思う。
僕たちは好むと好まざるとに関わらず、みな社会という
システムに組み込まれている。
とある社会に新しく人がやってくると
複雑で回りくどくてこんがらがった、ややこしい機械に
小さな歯車が一つ埋め込まれる。
これが君の受け持ちだ。
小さな歯車はとなりの大きな歯車から力を受けて
ゆっくりとまわり始める。
最初のうちは小さな歯車は大きな歯車から受け取った力を
そのまま空回りさせている。
しかしすぐに次の歯車や規模の小さなカラクリと結びついて
力を渡し始めるのだ。
そのうちに丁寧で手早いスマートな仕事ぶりが認められて
もっと多くの歯車や少し複雑なカラクリを任されるようになる。
コツコツと積み重ねていって、君の受け持ちの部分だけで
一つの社会といえるくらいに存在感が増してくる。
機械の全体からもなくてはならない存在になっていく。
でも部品が増えれば維持の難しさは倍増する。
目まぐるしいほどに次から次へと仕事が湧いてくる。
あちこちの歯車に油を差して破損した冷却炉を
修理しないといけない。
気づいたら小さな歯車が大きなカラクリを動かしている。
このカラクリは全体のシステムにとっても重要なプロセスに
なっている。
最近君は「確かに忙しいけれど、こういうのも悪く
ないんじゃないか」と考えるようになった。
君が任されたカラクリは今やたくさんの歯車を回している。
エネルギーの損失率もなかなか優秀な結果を出しているし
なんだか最近仕事が面白い。
自分が社会にコミットメントしている確かな手ごたえがある。
でも、残酷なアイデアだけど社会は君の仕事を数字の上でしか
見ていない。
「そのうちこの部分に不具合が来たらそっちとあっちの
数字を修正して埋め合わせよう。」
システムは、全てのプロセスを通って叩きだされる数値にしか
興味はない。
実際君が受け持っていたカラクリは少しずつ他の歯車に
受け渡されていく。
ぽろぽろ剥がれ落ちていくように見える。
そして最後にひとつの、小さな歯車が残ってそれもやがて
抜け落ちる。
システムは歯車をひとつ失って、それでもなお動き続けるのだ。
なんだかすごく、悲しい話のような気がする。
だけど数字からでは見えないものだってある。
ある日君はいつものようにカラクリを動かしていると
視界の隅、ずっと上の方から伸びてきている少し雰囲気の
違うカラクリに気がつく。
この辺じゃ見かけないような部品がたくさん使われているな。
そのカラクリの一角の飛び出た部分にひとつの歯車を見つけた。
特別な機能があったり素材が違うわけじゃない。
どこにでもあるごく普通の歯車だ。
だけど、その地味な歯車は君の目にはとても輝いて見えた。
君はあの歯車ともっと近くでつながってみたいと思う。
だから、こんなことしていいのかわからないけど
君はその歯車に向かってせっせとカラクリを伸ばしていく。
やがて君の小さな歯車と、
向かい岸のこれまた小さな歯車がつながる日が来る。
君は少しでもはやくあの歯車につながりたくて、あわてて
作ったので間をつなぐカラクリはまっすぐで細い一本の
橋のようだ。
最後のピースがはまって二つの歯車の間に
橋が完成する。君の歯車は、ちょっと遠いところにいる
気になっていた歯車とつながることができた。
そんなわけで、今日も僕達はせっせと歯車を回し続けるのだ。