ちくま評論選
第四部歴史と向き合う
「世界」の結晶作用 竹田青嗣
第四部歴史と向き合う
「世界」の結晶作用 竹田青嗣
(『エロスの世界像』講談社学術文庫より)
考察
飢えた旅人はリンゴに対して強くエロス的価値を感じる。
飢えた旅人はリンゴに対して強くエロス的価値を感じる。
それは独善的で偏狭なものであって決して他者に理解を求める
類のものではない。その飢えや渇きは彼にとって他人事ではなく
まさに自分を苦しめる、即座に対処すべき問題である。
このような彼自身の、彼だけの問題はバリエーション豊かに
一通り揃っているがそれらが向かう対象は規定されているわけ
ではない。彼の中に燃えたぎる意味不明で無秩序な感情の渦は
何らかのきっかけを与えられることで彼自身初めて意味を
読み取ることができるようになる。そしてその「意味を持つモノ」が
目の前にあった対象へと必然的に向かうのである。
ここではじめて外に表出するので周りの人間は今始まったように
見える。彼自身はこの事件のショックの大きさによって対象に
メロメロになってしまうので、その過程の発生した順序や構造を
誤認してしまう。
つまり彼は自分がその対象、たとえばとある女の子に惹かれている
のだと勘違いしてしまう。
本来彼が見つめていたものは彼女ではなく、彼女の瞳に映りこんで
いる彼の中にあったはずの望郷の念や歴史への強い憧れ、
もしかしたら昨日食べ損ねたキノコピザかもしれないがそんなもの
への漠然としたもやもやの結晶であったにも関わらずである。
もやもやはたまたま彼女の上で焦点が合って、像を映じている。
共感や仄かな恋心というのは最初はこういうものかもしれないが、
やがて彼の意識はまだただのスクリーンである彼女自身へとスライド
し二重、三重と投影が重なっていくことで、それは二人の間で言葉と
しての「愛」に変わるかもしれない。
自分の心の中の精神世界が対象に投影されているのだから彼に
とってその対象を手に入れることはすなわち世界を手にすることでも
ある。対象の存在は世界を手にする可能性そのものであり、
彼の心象世界=彼の理想の現出に他ならない。
それを目の前にしたとき、彼の理想が現実になり得るという可能性を
提示されたとき、彼はいよいよ現実味を帯び始めた理想に向かって
躍進するためのエネルギーを手に入れる。
彼女の上で虚像が形成される前から彼のロマン的理想は彼の中で
少しずつ「より現実味を帯びた幻想」として鍛えられている。
現実世界の、どんどんやってくる新しいものに触れるたびに
その幻想はくるくると姿を変えて整形されていく。
そしてあるとき全てのピースがカチリとはまって
青年は恋に落ちるのである。
文章を書くという行為はこれのレプリカと言っていいだろう。
恋に落ちるほどのエネルギーではないものの、伝えたいもやもやを
文字に落とすことでやはりエネルギーは生じ他者との交わりの中だけ
でなく自分ひとりでもフィードバックが起こって心の風景は変わる。
あらゆる対象に向かうあらゆる理想の投影と、そこからの
フィードバックが無限に繰り返されることで青年は心の「幻想」と
現実の「理想への可能性」を両輪にして彼のアイデンティティ、
彼の「世界」の結実へと向かうのである。