オン♯学 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで



僕はそんなに音楽を必要としない。

流行りの曲が街で流れていても特に気にならない。


mp3プレイヤーもあれば聞くけど、なかったらないで

別にいいかな、と思う。


でも人によっては、それこそ合法麻薬かなんかのように

音楽を本当に切実に求める。

気の毒な気もするけど、それはそれで彼/彼女に

とってはそこそこ幸せなんだろう。


まあ、僕もチョコレート・中毒だから人のことは

いえないけれど。




では、彼らが音楽に魂を奪われている間に

僕は何をしているのかというと

そう、とりとめのない想像を繰り返しているのだ。




たとえば電車に乗っているとき、僕は窓の外を眺める。



床屋、赤・白・青、ホテル・マック、プリント・ゴリラ、

路面電車、フットサルコート、鉄くず置き場、隅田川・・・。



人々は色とりどりの華やかな薄着を着て楽しそうに話し続け、

燦々と輝く太陽は鋭い光線をアスファルトに投げかける。


駅に着くたびに撫で付けるような熱気が僕を取り囲み、

線路は錆色の光を反射している。



人が乗って、降りて、熱気、冷気、

上り電車、下り電車、ガタン、ゴトン。



うんざりするような日常が、早いのか遅いのか、

目まぐるしくリフレインし続ける。





「そういえば、」



僕は、・・・恐らく現実逃避なのだが、頭の中で

話を始める。そして大体がこういう切り出しである。


最初の話は最近起こった面白い話であることが

多いような気がする。



僕は、電車の窓ガラスか、脳に流れる電気信号の

中か、もしかしたら眼球に浮かぶゴミかもしれないけど

様々な情景をそこに見る。



ひとつ目の話が始まると、ぼーっと、現実が他人事のようになって

僕の体は宙に浮かびそこらを漂い始める。


『千夜一夜物語』のように、と言ったら方々から苦情が来そうだけれど、

無数の物語の切れ端みたいなものが浮かんでは消えていく。


特に教訓もない、太平洋の真ん中に浮かんだちっぽけな

ボートみたいな話がゆらゆらと漂っていく。

時々思い出したように現実に引き戻されたりして

寄せては返し、寄せては返し、白い波が時折見える。


ボートには底に穴があいている。

ぽこぽこと音を立てながら水が溜まっていく。万事休す。


しかし、僕は呆けていて水をかき出すこともしない。

ただ溶けかけたチョコレートを齧っているだけである。


やがてボートは完全に海に沈む。

いつの間にか日は暮れていて空には限りない星が瞬き始める。

海に沈む夕日を見ておけば何かしら教訓を得られたかも

知れないのに、僕はチョコレートを食べることに夢中だった。やれやれ。



さっき言ったように、太平洋のど真ん中である。

見渡す限りの黒い海。

僕はゆっくりと海に潜っていく。



往々にして、残った手が全て悪手という状況は生まれるものである。

将棋ならば最善手を考えつくすべきかも知れないが

およそ人生とはベストよりベターを追い求めるべきである。



海の底には竜宮城は見当たらなかった。

恐らく冬場のみの営業なのだろう。



遠すぎる星明りはここまでは届かない。

暗く、荒涼とした険しい海底火山の嶺で

僕はビバークを決意する。


疲れ切った体でこれ以上の探索を続けるのはあまりに

危険である。

・・・いや、まだ何もしてないけど。




さて、僕は廊下の本棚からテキトウに漫画をチョイスして

万年床にダイブする。

海底でダイブとは、これは一本取られたね。


薄暗い電灯の下で、四畳半の小さな部屋は本当に落ち着く。

オレンジ・ジュースをすすりながら、

僕は完全にリラックスしていた。








迷惑というものは大抵、招待した覚えもないのに

彼らの都合で勝手に、玄関先に現れるものである。

僕は突然の激しい振動で目を覚ました。



「もう夕飯?」



いつの間にか眠っていたらしい。

何がおきたのかしら?と僕は外に飛び出る。



そこには人相の悪いクジラが口をだらしなく開けて待っていた。

こいつはピノッキオ少年もゼヴェット老も

モンブラン・クリケット卿もみんな飲み込んだやつだ。



「うちはそういうの全部お断りしてるんです。

どうぞお引取りください。」



僕は断固とした態度で訪問販売を拒否してドアを閉めた。

こういうやつは相手にしたら負けだ。







するとどうだろう。突然視界が揺れ始めた。

なんと、クジラ君はあろうことか僕を家ごと飲み込もうと

しているのである。




哀れ!僕の愛すべき四畳半は一瞬にして瓦解した。




「だから扉を内開きのものに変えておけば

よかったんだ・・・。」



後悔先に立たず。




クジラの口の中を流れてゆく。

僕は食道に落ちる直前、腹いせに喉ちんこを殴ってやった。






食道を落ちていった先には贅沢な日本庭園が広がっていた。


植え込みがあり、池があり、手入れされた美しい松があり

丁寧に石畳が敷き詰められた道がある。


その一画に僕の家の残骸がまとまっているのは

ひどく滑稽に見えた。

ガレキの下に日用品がちらほらと見えるのは

すごく悲しい光景だ。


僕はチョコレートの包みを引っ張り出して、

石畳を歩き始めた。



しばらく行くと

これまた贅沢で美しい日本家屋が見えてきた。

これだけ大きいと有名な旅館かもしれない。


「ごめんください。」


僕は脱いだ靴をそろえて、そっと脇に置いた。


「遠いところ、よくぞいらっしゃいました。」


「大変お疲れのことと思います。お風呂の方、

用意できておりますのでどうぞ」


案内してくれたのは美しい少女だった。


見覚えがある・・・と思ったら、彼女が後ろを向いたときに

首に三つ並んだほくろが見えた。


彼女に間違いない。



僕はとりあえず、骨抜きになった。






うらもなけりゃ



うらもなけりゃ



うらもなけりゃ







あの日、寝惚けまなこで僕の作ったサンドウィッチを

美味しそうに食べていた彼女は、誰が来るとも知れない

海の底の底に住む人食いクジラの腹の中で、立派に

日本旅館の女将を勤めていたのである。


僕はとても誇らしかった。





やはり、というか、夢のようなもてなしの後には「消化」が待っていた。


彼女は襷掛けをしている。



彼女は慎重にナイフを僕の耳に当てる。

僕の耳はぽとり、と何でもないかのように畳に滑り落ちた。
僕には、こいつが今の今まで自分の顔に付いていたとは

とても思えなかった。


僕は「それ」と自分との距離がうまくとれなかった。


なんだろうか?


痛みはなかった。
クジラの腹の中の旅館には「痛み」は存在しないのかも

知れない。あり得る話だ。

しかし、それがかえって僕の中の違和感を増長させていた。


畳には耳が転がっていた。



僕が存在し、ナイフが存在し、畳が存在し、障子が存在し、

花を活けた瓶が存在し、耳が存在した。


それは僕にとって耐えがたい違和感であった。

黒の中に赤が混じり、羊の群れに狼が混じり、樹木の中に火が混じる、

そんな危険な違和感だ。

水の中に油が、あるいは油の中に水が浮かんでいるのかも知れない。

文句を言っても仕方がないのである。

はじめてやることは慣れないものだ。




僕が困惑して振り返ると、彼女はあらあら、といった感じで

微笑んでいる。

僕は諦めて前を向く。

彼女は熟練のナイフ捌きで僕の体を削ぎおとしてゆく。



あの素晴らしい夕食はもしかして前の…。
いや、ここで考えたらだめだ。


それにしても彼女のナイフを持つ手には迷いがなかった。
ナイフはスッ、スッ、と僕の体を削いでゆく。

耳を落とし目をえぐり鼻を削ぎ唇を斬る。


余りの手際のよさに切り落とされてゆくというよりも

体が砂になってこぼれ落ちていくような感覚に襲われた。


僕は「消化」されつくし、結局座椅子の上には長さ1cm四方の

立方体が残った。

立方体は透きとおった淡いピンク色をしている。




あの朝のひととき。

あの時間は本当に短いものだったけれど、

彼女は僕のなんたるかを確に理解してくれていたのだ。


そうでなければ一度も手を止めずに立方体を残して

「消化」するなんて不可能である。

僕はちょっぴり悲しくなった。




やがて僕は海底火山の山間に戻っていた。
クジラはゆっくりと泳ぎ去っていく。
僕が出てきた穴がなんだったのかは考えないようにする。



後には深遠な暗闇と、立方体が取り残される。



比較物がないために、立方体は果たして

動いているのか、それとも静止しているのか、

わからない。


いくら海底とはいえ海流くらいあるだろう。

静止するとしたらそれには何かしらの

エネルギーが必要である。


しかし、そんなエネルギーが立方体に

秘められているようには到底思えない。


わからないだけで少しずつ動いているのだろうか。





立方体は卵だった。



何か、立方体の中に見えた気がした。


それは立方体の内側でくるくると踊っている。

気泡だろうか。


最初、気泡は間違って入り込んでしまったような

そんなよそよそしさを感じさせた。


しかし、そのうちに遠くの町からやってくるサーカス団の

賑やかで楽しい音楽のように、彼は少しずつそこに

なじんでいった。


彼は手始めに、おかしなものを見つけた犬のように

警戒しながら、立方体をじっくりと眺めた。

彼の視線は、ちょうど立方体を3往復したところで

止まった。


彼はふんふんと頷きながら、なにかわかったような

顔をして右手で左手の甲をそっとなでた。


どうやら、これから大きな仕事が始まるらしい。



彼は一番初めに彼から見て左手前方の角を選んだ。


まるで味見をするように、彼はその触覚で立方体を

検査していく。


高層ビルの窓拭きのような作業が延々と続く。



その間に遥かな時が流れた。


太陽が空に昇り、そして海に飲まれていく。


若者が戦士になり、少女は彼の元に行くかもしれない。

しかし、彼は敵のゲリラ兵に銃で殴り殺されて埋葬される。


墓はやがて花になり、それもいつかは朽ちて風になる。


少年はどこにいったのだろうか。

少女はどこにいったのだろうか。


最後には歌が残される。



そして、幾度目かの太陽が傾きかけた頃

ようやく最初の作業が終了する。



どうも彼の時間感覚は我々のものと少しずれているようだ。


彼は一面を拭き終えた。


これを屋根として、今度は壁に当たる四面に取り掛かる。



二枚目。


三枚目。


四枚目・・・。


彼は焦り始める。

どうやらこの作業は、何か探しものをしているらしい。


そして五枚目が終る。


まだ何も見つかっていない。


最後の底面である。



Q:四分の一が終る。

→A:見つからない。


Q:五分の二が終る。

→A:まだだ。


Q:二分の一、半分が終る。

→A:何も。


Q:四分の三が終る。

→A:・・・残念だが。




いよいよ彼は取り乱し始める。

何か手違いが起きたのだろうか。


すぐに六枚目の作業も終了する。


彼が頭を抱え込んでいるのを見ると

やはり何も見つからなかったようだ。


彼は立方体越しに空を見上げる。


僕たちにはわからないが彼には空が

確かに見えているらしい。



暗い海の底で彼は待つ。

ただひたすらと待ち続けるだろう。



・・・



恐ろしく長い時間、待たされた。

僕も、君も、そろそろ飽きてきた頃だ。


もしかしたらもう宇宙も滅びてしまっているかもしれない。


とにかく、待っている間何も起きなかった。


だから待っていた時間はもしかしたら

五分くらいかもしれないし、

何万年も経っているかもしれない。


確かめるすべは存在しないのだ。


彼は根気よく待ち続け、そして待つのをやめた。

それだけである。



さて、先ほどと今とで何かが変わったのだろうか。



・・・



彼はすでに答えを知っている。


・・・だってそのために待ち続けたのだから。



彼はゆっくりと立方体に手を伸ばす。

そもそもの前提が間違いであったのだ。



彼は、立方体の外にいた。少なくとも今は。


ついに卵の殻は破られた。

世界が逆流し、白身と黄身が爆発する。




僕は、生まれた。



一般にオキアミは日常生活において、滅多なことでは

「考える」ということをしない。


だから「理解する」こともない。


彼が考え、そしてわかるのはその瞬間だ。



つまり、殺すか、殺されたときだ。



今僕は一つの概念を理解しようとしていた。

残念ながら今回もまた後者のケースであるようだ。



僕は自分がどこにいるのかわからなかった。


別にここが何県でも構わないのだが、

その・・・あのね・・・///


もう!!


エサが必要なの、お腹が減ったんだよ!



実に情けないことに、死因は餓死であった。


もしかしたらこれが「理不尽」、ってやつかもしれないな。


クールなオキアミは、そこでこときれた。



彼の死骸はゆっくりと海底に降り注ぐ。


ここには悠久の時の中で、無限の死が降り積もってきた。


とんとことんとん

とんとことんとん


太鼓は原初的な戦争のテーマだ。


とんとことんとん

とんとことんとん


暗闇に小さな火が灯る。


とんとことんとん

とんとことんとん


火は踊る。


とんとことんとん

とんとことんとん


少しずつ大きくなっていく火は、暗闇を照らし

そして不可思議な影がゆれる。


とんとことんとん

とんとことんとん


業火、そう呼んでも構わないだろう。

業火は全てを飲み込み、全てを平等に灰に還す。


とんとことんとん

とんとことんとん

とんとことんとん

とんとことんとん



太鼓の音にあわせて誰かが歌を歌っている。

しかし、僕たちにはわからない。

灰はただ眠るばかりだ。


とんとことんとん

とんとことんとん・・・



太鼓が遠ざかる。


再びの暗闇、静寂。



夜の終わりが訪れる。



これは夢かもしれない。

でも確かに、そこには歌があった。



ただの灰の戯言だ、気にしないでくれ。




やがて海流が再び動き始める。

灰は舞い上がり、オキアミの体はゆっくりと昇っていく。




名もない歌だ。

死んじまったクズオキアミの野郎とか、

そんなくだらない連中が音符の一つ一つなのさ。


誰も聴いちゃいねえ。

海流に煽られて、火に炙られて、

そのうちふっと、消えちまうのよ。


どっかで誰かが聴いてたりしてな・・・。

そしたらおもしろいことになるかもしれないな。




海は穏やかだった。















僕は砂浜を歩いてゆく。

朝の淡い光の中、ひんやりと冷たい潮風が

肺に満ちていく。


白い波に足を洗われながら、僕はご機嫌である。



僕は耳骨を拾った。


白と茶色と桃色と紫と薄緑と灰色と、

たくさんの色使いで彩られているけれど

決して猥雑な印象は受けない。


手触りはつるつるとしていて、陶器のような

滑らかさである。


風は海を越えていろんなものを運んでくる。


彼らはどこかのあたたかな島国で、

吹雪のやむことのない雪山で、

ぐつぐつと煮えたぎる火山口で、

あるいは、火星にある深い井戸の底で。


たくさんの歌を覚えてきたのだ。



僕はわくわくする気持ちを抑えきれない。


どんな音がするのだろう。



僕はこれらの歌を大切に聴いていきたいと思う。





僕は、音楽を必要としない。


そんな感じ。