居心地のいいオフィス、僕のブログ、名刺、CC?
ピロシキ、シリコンバレー、ジャッキーさんと先生の
カッコイイ自転車、山手線・・・。
いろんなイメージがまだ僕の頭の中でぐるぐる回っている。
(山手線はいつもまわっているわけだけれど)
リアルとネットが僕の中で急速に近づきつつある。
・・・
まず、僕は「運慶とWeb2.0」を書いた。
ワードで打って、それをabsurdumさんのところに
持っていった。
次に梅田望夫の「ウェブ時代をゆく」を本屋で見つけた。
僕はこれまで新書をほとんど読んだ事がなかったから
たまたまだ。
この本を読んで、僕はネットの本当の可能性を忘れていた
ことに気づいた。完全にコモディティと化していた。
僕はブログを2.0まで引き上げることにした。
そして、その作業を始めた頃に先生からメールで
ステキな返事が来た。
僕はネット上で「ひょろ」としてabsurdumさんに会った。
なんとも不思議な出会いだ。
僕はすごく運がよかった。
先生とA君はものすごくおもしろそうなことをはじめようと
していて、そこに駆け込みで招待されたのである。
国語科研究室のドアの隙間から漏れる光は
僕の目に、ものすごくまぶしかった。
そこには素晴らしい人たちが集まっていた。
僕は「なんで自分がここにいるのかしら」という
疑問がまた湧きそうになってくるのを感じた。
その場において、唯一僕だけがあらゆる意味で
「持たざる者」であった。
A君。
彼はコンピュータ言語を操れる。
つまり、イメージするだけでなく、それを実際に形にして
動かすことができるということだ。
今回のプロジェクトは彼が発端だし、プロのエンジニアである
Sさんと共に実際にプログラミングの仕事をするらしい。
僕は彼に憧れるし、ちょっと嫉妬もする。
・・・
梅田望夫の「ウェブ進化論」の一節にこんな遣り取りがのっている。
(第二章 グーグル―知の世界を再編成する
5 グーグルの組織マネジメント
情報共有によって研ぎ澄まされるエリートたちの激しい戦争)
(P87 l7)
~中略~
グーグルの場合はぜんぜん違う。アイデア時点から情報は
既に全員に向けて公開されているのだから、そのアイデアが
認められるためには、動くものを開発して証明しなければならない。
~中略~
「ねぇ、アイデアマンで、どんどん次から次へとアイデアを出すタイプの
人は、グーグルではどう評価されるの?」
私は友人にこんな質問をしたことがある。彼の答えが面白かった。
「アイデアの起案自身というのはほとんど評価されない。アイデアって
いうのは当然、難しい問題を含むものだ。その問題を解決して、動く形に
して初めて評価される。口だけの人はダメだな」
僕は雷に打たれたようになって、ショックのあまりすねを
椅子の足にぶつけた。
(弁慶の泣き所。「弁慶とWeb2.0」とか・・・だめか。)
いうなれば、最先端のシリコンバレーの住民のセリフである。
これはものすごく説得力がある。
やっぱりただの「ビック・マウス」ではダメなのである。
オーソリティへのシルバーブレットとなれるのは
唯一、「テクノロジー」である。
なるほど、そうかもしれない。
・・・だけどこうも思う。
「それこそ、ネットがあるじゃないか。」
グーグルは「不特定多数」の良心を信じていない。
だから、こここそが死角であり突破口ではないだろうか?
つまり、自分にできないことは他の人にやってもらえば
いいんじゃないだろうか?
アイデアというものはあればあっただけいいと思う。
本当に面白いことを思いついたなら、それをブログなり
SNSになり書き込めばいい。
実現のために必要なのは自分自身のスキルではなく、
人脈でありアクティビティではないだろうか。
自分のアイデアがどれだけ素晴らしいのか売り込むのだ。
もちろん、自分で全部できるならそれに越したことはないけれど。
いいアイディアは持っているけれど、それを実行する能力がない。
そういう中間層を(これもロングテールといっていいだろう)
ネットの生産ラインまで引き上げることができれば、
もっと面白いことが増えるんじゃないだろうか。(文化の再生産)
ネットを介せば、日常に埋もれているコストゼロの莫大な「知」と、
それぞれは微弱でも集まれば脅威となる「テクノロジー」が
出会うことができる。
そこで、僕達に要求されるのは
「名前」と(実名あるいは固定ハンドル)「信頼」、「説得力」である。
まず、名前を売るのが先じゃないかな、と。
ブログはアフィリエイトでちまちま小遣い稼ぐよりも
まったく無名の人がゼロから宣伝していくときに、真の力を発揮する
メディアではないでしょうか?