□「ネットで頭がバカになる!」 テリー伊藤の主張を「否決」
by J-CAST ニュース
http://www.j-cast.com/2008/03/10017647.html
・「インターネット」は生まれたばかりのメディアであるためか、
とても純粋です。今のところは「中央集権」もないです。
「情報伝播速度無限(!)」と、現実世界とはそもそも
物理法則が異なります。
宇宙に行き「ソト」から地球を眺めた人間は、人生観が
変わると聞きますが、現実世界に対するパラレル・ワールド
であるところの「インターネット」は人間の様々な価値観を
破壊してきました。
都市部に対する地域という「距離」による
ディスアドバンテージを破壊し、「共有性」によって情報の
価格破壊も起きている。
インターネットの純粋性はあらゆるメディアと融合しうると
思います。
・インターネットはリアルを映す鏡みたいなモンです。
例えば、
□【トレビアン動画】マックのドライブスルーを華麗にスルーする動画を公開して炎上騒ぎ!
by livedoorニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/3545896/
このように、非常識な行動をとった人間に対して
過剰に煽り立てる側面もあるのではないか、とも
考えられます。
でも、それは現実社会でもあまり変わらない。
例えば近所のおばちゃんとか、とても小さなコミュニティ
内ではおんなじことが起こっていると思う。
・『ウェブ人間論』で平野もネットとは別に考える時間が
必要ではないかと話しているけど、
確かにインプットはリニアな流れの中で取捨選択を
行うから自分の好きな情報しか入って来ない面もある。
しかし、
アウトプット(する能力)、つまり血肉となるのは、
結局のところ取捨選択で残ったところではないかな?
自分が主体的には選ばないものから刺激を受ける
ところは確かにあるけど、
それならば、自分にない「発想」というのを意識的に
求めていけば、イノベーションは効率よく起こすことが
できる、コントロールできるのではないだろうか?
・本はなにか
不便性、限定性、身体性
インターネットは流動的で参加型、風のように
くるくると自分の手元のカードを変えていけばいい
少々質は落ちるけども(玉石混合)
本は完結した、しっくりくる、上質で組織化された受動的なメディア
・言語の壁
×ユーチューブ
○ニコニコ
・能力、オープンソース、匿名、理性
vsアイデンティティ、身体
なぜ僕はここにいるのか?
この葛藤こそがインターネットにおける「暴力性」なのでは
ないかと、ふと思いました。
もやしもんでもあったけど、
なぜ僕なのか?能力なのか?
※まだ編集中です。
・・・と思ったけどこれ以上編集しない。
メモです。