先月、ホリエモンの発言がYahooニュースに上がっていた。

 

『忖度ほど危険なものはないと思う訳』

 

詳しくは元記事を読んで頂いた方がニュアンス含め誤解がないのだけど、抜粋要約します。

「堀江は人の気持ちがわからないやつだ」とよく言われたそうで、そんな相手に対しホリエモンは、

 

『むしろ、「私は人の気持ちがわかります」と公言できるようなやからに、ろくな人間はいないように思う。「人の気持ちがわかる」なんて大きなおごりなのだ

と切り捨てる。

 

ほう照れ 確かに自分も人の気持ちはわからない。と思っている。

 

自分がされて嫌なことは人にしない。というのは、耳がタコになるまで言われて育った方も少なくないかと思うが、相手のリアルタイムな感情を察して対応したケースで、事が上手く運んだためしがない。

 

自分がされて嫌じゃないことでも、嫌と感じる人はモチロンいます。ニヤニヤ

 

でも、多くの日本人は嫌であることを直接言わないし、そこは相手が察して、気持ちの良い関係性を構築したい。と思っているのかもしれない。

 

ホリエモンの主張はこう続く。

 

『表情や仕草・言動から、「この人は今、こう思っているのでは?」と想像するのは個人の自由だ。しかし、勝手にそれを信じ込んで突っ走る人物には、本当に迷惑する。』

 

 

ホリエモンの言っているような、例えば一緒にいた友人が突然部屋から飛び出して行った時、何か忘れ物を思い出したのだ。とか、トイレが我慢できなかったんだ。とか、その行動を心の状態を予測して理解したり、予測したり、説明したりするこの事を”心の論理”と言う。

 

”心の理論”が知られるようになったのは、発達障害の一種である『自閉スペクトラム』などにおいて、この”心の理論”が未発達であるという事が報じられてからだと思う。

 

ホリエモンの記事と同じタイミングで、”心の理論”についてのブログ記事がアメブロに上がっていた。

 

面白いのは、こちらの記事では”心の理論”を人類が取得したことによって、神様の意思も受け取れるようになったと展開する。

 

他の人の気持ちを察しようとするばかりに、

人だけではなく、

無機物に対しても、

それらがあたかも、

意志をもって存在するように思えてきたのです。

 

目に見えない神の存在が”実在”するのか、人間の”忖度”の産物なのかは物理的に証明のしようがないが、仮に人間の想像力によってのみ存在し得るというのならば、自閉スペクトラムの人々には”神”という拠り所は存在しないのだろうか?

 

例えば、自閉スペクトラムと言われているビルゲイツや、自ら公表しているスピルバーグ、米国国防総省が診断したプーチン大統領などには”神”は存在していないのだろうかと、ふと思った。

 

 

 

ひとまず話をホリエモンの記事に戻す。

 

人は「自分の幸せ」のことしか考えられないと思っておいたほうがいい。他人がどんな思いをしているのかなんて、本質的には知りようがないのだ

 

おお、バッサリびっくり でも、ココは少なからず共感する。

結局のところ、自分の五感で感じ取ったモノも自分本位のものでしかないし、ましてや常識やら教育、世代、民族性、集合意識なんてモノを持ち出していくら推察したところで、相手の本意なんて分かりようがないし、ましてや本人自体も分かっていないのかも知れない。

 

ホリエモンは、こう締め括る。

 

『だから、人の感情なんて不確かなものを基準に行動を決めるのは、やめたほうがいいあくまでも基準にするべきは「時間」だ。あなたのアクションによって、他人の時間が減らないなら、何も気にすることはない。やりたいようにやればいい。』

 

結局のところ、人は一人では生きていけない。

しかし、人を見て、人に合わせて歩むのではなく、

一人ひとりが前を向いて、自分の人生を存分に謳歌する時、

隣にいた人と手を繋げば良いのではないか。

横並びで同じ方向を向いた時、初めて手を繋ぐことができる。

 

同行二人

 

弘法大師が残したこの言葉は、神仏も人も同じ立ち位置であることを

示唆しているのだと、個人的には思っている。