バガンの大地 | 手のひらの中のアジア
April 03, 2006

バガンの大地

テーマ:(10)ミャンマー

ミャンマー バガンの大地


バガンは、不思議な場所だった。

バガンの大地に立っていると、これまでと同じミャンマーという国の中でありながら、どこか別次元の世界にいるような気がするのだった。


バガンの大地には、とにかく果てしない平野に無数のパゴダや寺院が点在している。カンボジアのアンコールワットがそれ一つでも魅せられる美だとするならば、バガンは広大無辺な大地と千万無量の遺跡群との調和で魅せる美だといってもいいかもしれない。


その一つ一つは規模こそ大きくはないが、大小様々、色調、装飾もそれぞれ異なり、中には「遺跡」としてではなく、今も人々の信仰をあつめる現役のパゴダや寺院もある。


よくよく考えてみる。


その昔、インドシナ半島を西へ西へとやってきたモン族は、今のミャンマーの南部へ住みついた。中国雲南省から南へ南へとやってきたビルマ族は、同じようにして中部へと。「パガン」を造りだしたビルマ族はやがてモン族を滅ぼして、統一王朝を築いた。仏教が広まって、ビルマとしての文化の原型ができたのもこの頃で。そして全盛期を迎えたパガン王朝の数百年の間に、今僕が目のあたりにしているパゴダの多くが建造された。


いったい、いつのことなのか。


調べれば、6世紀頃から始まって全盛11~13世紀の頃の話だ。


フビライ・ハーン率いるモンゴル軍によってパガンが滅ぼされるまでを考えれば、今から、そしてこの国が「ビルマ」から「ミャンマー」に変わった時から遡ってみても700年以上も前の話。第2次世界大戦時、日本軍がビルマに進出し、僕がタイのカンチャナブリでも見たあの「泰緬鉄道」 を建設させた頃の時代よりも650年ほども前。さらにイギリスによる支配、3度に渡る英緬戦争が続いたあの時代でさえ、パガンが滅びてから500年以上も後の出来事なのだ。


それほど遥か昔に起こった歴史の遺物が、この数百年の時を経て、いまだこうして目の前にその悠然たる姿を見せているということは、修復は重ねているとはいえ、驚きを越えてただただ感嘆のため息にいたるばかりだ。


ミャンマー バガンの遺跡


全ての出来事は、別々のものではなく、歴史の変遷の果てに今のミャンマーの政情もある。


ミャンマーはこれからも変化し、歴史を刻む。僕が訪れている現在も進行形だ。


首都移転問題もその一つ。移転の意図については、周辺から様々な憶測が飛び交い、現地で生活する人々でさえ事情を理解できていないような現状の中、現ミャンマーの首都ヤンゴンはミャンマーの国土のちょうど中心に位置する「ピンマナー」への移転が既に始まっていた。


それまで何もなかったはずの田舎町「ピンマナー」は、急速な勢いで変化を始める。僕がミャンマー滞在中にも既にいくつかの機関は移転完了し、旅行者の訪問などは当然のように不可と言われるほどだった。


現在でもこのように変化し続けるミャンマー。


しかしだ。


このような国の状況にありながら、バガンを歩いていると、この場所だけはあらゆる問題とはまるで無縁のような気がしてしまうのだった。


僕がバガンを不思議な場所と感じたのは、このバガンの大地だけは、それが軍事政権の手であれ何であれ、何者の介入も許さない「聖域」のように感じたからだった。


歩いていて感じられる「時の止まってしまった」ようなバガンの時間は、これからも静かに時を止めたまま、未来永劫、存在し続ける、そんな気がしたのだ。


しょせん希望的観測の域は出ない戯言かもしれないが、それだけバガンというところは、僕にとって歴史の重みと雄大さを感じさせる素晴らしき場所だったということなのだ。


さらに、こうして様々なことを感じ、好奇心尽きるどころかより膨らんでいくという背景には、僕が今旅を共にするミャンマー人のニンが一緒にいて、彼女が常に「ミャンマー」という国を身近に感じさせてくれているということが多分にある、と僕は思うのであった。


ミャンマー バガンの大地


12/8

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