追③「盆踊り…(3)資金集め」 | 獏井獏山のブログ

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(2)の続き

 

「盆踊り」の画像検索結果

(ネット画像から引用)

 

・村会の援助が無くなって「手作り盆踊り」が出来なり、影を顰めていた盆踊り再会の機運が高まったのは、青年団長をしていた兄の発案がキッカケだった。その頃、我が家は青年団員の溜り場のようになっていて毎日数人の青年団員が遊びに来ていた。青年団が購入したアコーデオン、ギター、バイオリンなどの楽器が置いてあることもあって遊びに来易い所為もあったようだ。その日遊びに来ていた数人は兄の提案に有無なく賛成した。こういう事は話が早い。数日のうちには全ての団員に周知され反対する者もなく‟盆踊りをやろう!”ということになった訳である。

 

・しかし、盆踊りを実施するのは簡単ではない。場所作り等の設営は自分らの手で出来ても、当時彼方此方で流行り出し、当然のような形になっていた「鉄砲一門の音頭取りを雇う」のに相当な金が掛かる。そればかりではない。踊り手に配る団扇代、飲み放題のジュース代、その上に法被やタオルまで配ろうとすれば相当な資金が必要になる。その資金をどうするかが大問題である。

 村に援助を頼むことは出来ない。村人の寄付を募れば文句を云う者が出るに違いないから無理、手元から捻出できないなら他に良い方法はないか。皆々試案に喘いでいた時、仲間のAが耳よりの話を持ち込んだ。その内容は次の通りである。

…Aは村でも1~2の指に入る大きな田畑を持つ農家の長男である。A家では牛の売買を扱う博労や肥料を売りに来る商人などの出入りも多い。ある時、Aは、所用で家に来た博労に向って「盆踊りをやりたいけど青年団には金がないから無理みたい。」と吐き捨てるように内情を打ち明けた。すると博労は「この村なら、その心配は無いやろ。」という。「え?」耳を疑って目を向けると、博労は「知らんのかいな。ええこと教えたろか。」と云った。「この村に入っている商売人の店を回って寄付して貰うのやがな。他の村でもどこでもやってることやで。ワシも寄付させて貰うよ。この村は立派な農家が多く、出入りする業者も多いさかい仰山な金、集まるで。村の中にも大きい酒屋や駄菓子屋が有るやろ、そこからも取ったらええねん。」と云うのが博労の話だった。

・Aの話を聞いた団員の顔が急に色めきだった。「よっしゃ、それで行こ。早速人手集めや。25人の青年団だけでは足らんさかい、高校生も含めて若い奴を皆集め。」兄の一声で団員その他の若者が呼び出され、寄付集めの仕方の説明と若者を中心にした2人単位のチーム編成を決め、各チームが受け持つ村(集落)の割り当てが決められた。学校も夏休みなので全員が翌日から動き出した。

・村の周囲1キロの範囲には10前後の集落がある。各チームは割り当てられた集落にある「出入り商店」の所在を確認すると自転車の後座席に相方を乗せて村を出発した。出来るだけ早く回り終えるように一生懸命ペダルを踏んで交代しながら各商店を回った。どの商店も一応の目安にした3千円を容易く出してくれたし、中には5

千円も出してくれる店もあった。こうして集まった金は約10万円に達した。今思うと昭和30年の10万円は巨額だった。盆踊り日取りが決まると、潤沢な寄付金のお陰で櫓組み立てや音響、照明などの設営はすべて業者に発注することが出来、「鉄砲一門」に対する音頭の依頼もスムースに運んだ。盆踊り当日は寄付をして呉れた商店には来賓として招き、踊り手には鵜と私を配り、飲み放題のジュースは氷桶一杯に用意された。…こうして久々に行われた盆踊りは大いに盛り上がった。(続く)

 

(注:年次、金額に多少の記憶違いがあるかも知れない。)