呟㊶「眉唾モノの超能力」 | 獏井獏山のブログ

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・猛暑続きで頭の半分も回らないから人が思いも付かないような…自分自身もアホらしくなるような…バカ話を毎日書いている。少しは暑気払できるかと思っていたがそう簡単にはいかない。

そんな時、テレビでとんでもない超能力者の話が出てきた。今までにも「有りそうな」話はよく出てきたが、今回のは大幅に超越した話だ。「初めて会う人を一目見ただけでその人の住処、職業は元より何年も前に亡くなった先祖の事まで分かる」ということのようだった。しかもその御先祖様と話もできるという。…これは眉唾だと思わざるを得ない。そんなことが分かる筈がない。況してや「死人と直接話の出来る人間なんている訳がない。」と。

・前にも占い師の評価と限界に付いて書いた。占いは「下手な鉄砲も数打ちぁ当たる。」何らかの形で有名になって客が増えれば偶に当たった人の絶対数は増えるに決まっている。偶に手相など見て貰うのも座興としては面白そうだ。他愛無いい気休めで可愛げさえ感じる。…その辺までは黙って見過ごせる。

・テレビで見た超々々能力の話は「やらせ」ではないかと推測する。

しかし、あんなに真顔で熱心に話す姿を見た以上は単にボンヤリした頭での推測でハイ終わり、にする訳にはいかない気がしてきた。もう少し突っ込んだ分析が必要だという思いが脳裏を掠めた。

・まず、亡くなった先祖との会話だが、五感を持って生きていた当時の人間の脱け殻と話せることなどはあり得ない。何故なら、人が死んだ瞬間に五感を持つ肉体は朽ちるか焼却されて影も形も無くなるのだ。無に帰したものと話が出来る訳がない。しかし、あくまで仮の話だが、「先祖と仮定した或るもの」と交信する道はあり得るのだ。「或るもの」とは天に昇った「魂」である。人は寿命を終えるとその人の肉体の中(膏肓)に潜んでいた「魂」は屍となった肉体を抜け出して天に還る。永劫不滅の魂は何時でも宇宙の一角に浮遊している。その魂と交信する事は不可能ではない。それは現に生きている人間も膏肓の中心に肉体と融合した「魂」を持っているからだ。だが肝心なのはその先である。天に還った先祖の「魂」と交信できるのは、超能力者の膏肓に潜む「魂」との間に限られるということだ。如何に超々々能力者と雖も、‟魂が有する億兆分の1”の能力しか持たない“人間の五感”を以て対応する事は不可能である。唯一、交信可能な手段があるとすれば「先祖の魂と地上の魂」即ち「魂対魂」の直接交信だけだ。

 もし万一、その超々能力者が自己の「膏肓に潜む魂」を、肉体が本来的に保持し認識・活動の根源として働かせている「五感」の力を以て「意識の表面」に引き出すことが出来れば、その魂が先祖の魂と交信した内容を把握することが初めて可能となるのだ。

・口でそうは言っても、五感が膏肓に潜む自己の魂と繋がるのは至難の業と云わなければならない。少なくとも長時間に及ぶ瞑想によって無の境地に達するか、熟睡時に夢枕という形で天啓を受けるしかないだろう。

・人を見た瞬間にその人の先祖と話しが出来るなんて想像もし得ないことである。真に、その超々々能力者が天の魂と会話できるとしたら、超々々能力者「自体が魂そのモノ」ということになる。それこそ「億兆分の1の奇跡」という外ない。つまり、あり得ないということ。