魂⑨「生と死」 | 獏井獏山のブログ

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・人はよく生と死という言い方をする。その言い方はあり得ると思う。

 しかし、そのためには、生と死は同価値で対峙するものでなければならない。「生」と同様、「死」にもまた、その内容が具備された説明がなされる必要がある。

・生については、「生き甲斐、生き方、生き様」を、経済的状況、心理、苦と楽、他者との関わり合い等、日々の出来事について色んな視点で説明される。しかし、死については単に「生の終わり」という形でのみ取り上げられることが多い。

 つまり「死」は「生きていることと、それが終わることの堺目の一点」でとらえられるに過ぎないものとなっている。換言すれば、生の終わりのみを表現する語であり、いうなれば、それも生の説明の一部なのである。それでは同価値で対峙した存在とはなっていない。

 しかし、「生と死」という言い方は厳としてあり得、生の重みに匹敵する死の中身が存在するのである。

 

 

「臨終と昇天」
・そこで「生と死」を「臨終と昇天」と言い換えてみる。
・「臨終」は人生の終りを意味し、「昇天」は活動機能を失った肉体を抜け出した魂が「神聖天国」に還ることである。神聖天国における魂の存在は苦の無い宇宙の広がりの中で永劫不滅である。
・そんな永劫不滅の「魂」と、魂にとって約100年前後という、将に瞬時に過ぎない「人生」とは、比較のしようも無い程の大差がある。しかし現に「人生」を生きつつある生身の人間にとって「人生」は計り知れ

ない重さを感じるという事実は否めない。これに対し、俗化した人間(肉体)から見た「魂」の存在は、自己そのものであっても想像の域を出ない事もまた事実である。しかし瞑目して無の境地に達すると身体の奥底で、途轍もなく大きな魂の存在を感じる事が出来る。ここで初めて現時点における「生」と「死」の重さの均衡が保たれ、同価値で対峙することになるのである。