「おかげさま」
この言霊には
温かで、敬虔な、
見えない物、
神さま、先祖、
周りの方々への
深い感謝の
気持ちが
含まれています。
この「お陰さま」の心は、
日本人固有の
意識のようで、
英語に正しく
翻訳することが
できないそうです。
昨年の秋に
いっぷくさんの
blogに
投稿された
上所重助さんの
おかげさま
この詩を初めて
読んだ時に、
堪らなく
涙がでました。
「おかげさま」
冬が来ると「夏がいい」と言う
太ると「痩せたい」と言い
忙しいと「暇になりたい」と言い
暇になると「忙しい方がいい」と言う
借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる
金を持てば 古びた女房が邪魔になる
所帯を持てば 親さえも邪魔になる
衣食住は昔に比べりゃ天国だが
自分に都合のいい人
隣を見て愚痴ばかり
どうして自分を見つめないのか
静かに考えてみるがよい
親のおかげ
先生のおかげ
世間様のおかげの固まりが自分ではないか
得手勝手を慎んだら
世の中はきっと明るくなるだろう
「俺が」、「俺が」を捨てて
「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい
<引用終了>
以下はネット
からの引用を
含め書かせて
頂きます。
(ありがとう
ございます🙏)
全ての人ではないが
おかげさま、
ありがとうを
人づきあいの時に
うわべだけのものとし
口から出して
仏教から来る用語だと、
馬鹿にして見下し
ている人がいる。
その言葉を聴くと、
確かに仏教から来る
用語ですが、
それが、人間として
大切な言葉である意味を
考えた事があるのか🤔
と思います。
「おかげさま」という言葉は、仏教が説く「諸法無我(しょほうむが)」を教えて下さる、大切な言葉であり、そのような意味があるそうです。
「諸法無我(しょほうむが)」とは、平たく言えば「世の中のものは全て単独で存在しているのではなく、関わりの中で生きている」という意味です。
人間は「にんげん」とも読みますが、仏教では
「じんかん」と読み、人は関わりによって、間柄を持つ事によって「人間」になるそうです。
私として存在できるのは、まさに他者の「おかげさま」という事です。🙏
人はひとりでは生きて
行く事はできないのだ。
私は自分の怪我、
障害を持つ息子達を抱え
途方に暮れた時に、
どれだけの人に助けて
もらい迷惑を掛けてきた
のだろうか?
感謝の気持ちは
ありますが、
おかげさまの詩を読み
自分ひとりでは生きて
いないのだ。
改めて痛感しました。
世の中には謙遜な方々が
多くおられます。
大変な苦労されながらも
感謝の気持ちを忘れずに
懸命に生きておられます。
しかし、その反面
私もですが、自我の強さで
生きている人もいるのです。
「俺が俺が、私が私が」の
自慢ばかりの内容の
ブログが時折サイトで
観られます。
自分程、
利口で立派な
人間はいない。
また
自分達の信仰する
宗教ほど、
立派なものはないと
言いながら業が
伴わない宗教もある。
今だけ、
金だけ
自分だけの
俺が、俺がです。
その方々の中には
苦労して
努力して人生を
切り開かれ
幸せを手にされた
のかもしれません。
そんな気持ちに
なるのもある面は
分かりますが、
忘れていけないのは、
人に助けられたから
今の自分があるの
だという、
おかげさまと
感謝の気持ちだと
思います。
しかし
自分の力だと
錯覚し感謝なく
自慢する姿を
見せつけるのです。
偉そうに人を批判し
申し訳ありません。
私は愚図、愚図と
自分の境遇を嘆いて
ばかりの人間です。
しかし
おかげさまの言葉の
深い意味を知り
多くの方や様々なもの
そして神仏に
助けてられて
生きている事に
気付かせて
もらい感謝します。
未々、気付きが必要な
人間ですが
どこかで誰かに必ず
受けた恩を
感謝の気持ちとして
恩送りしたいです。
おかげさまで
感謝します。
ありがとう
ございます🙏



