ながらく書き文字を持たなかったこの国で、日常語られてきたのは〈やまと言葉〉である。なんとも柔らかく、美しい。千と千尋の「ちひろ」、なごり雪の「なごり」、北海道の空港名にもなっている「ちとせ」……。


 世界では妥協のない対立が続いているが、「折り合いをつける」というやまと言葉はうるわしい。


双方が歩み寄るさまが目に浮かぶ。本書は、この古来の言葉を見つめ直すことを通して、日本という国とその思想についてしなやかに思索してきた倫理学者の絶筆である。

 

先の東京五輪で話題いになった「もてなし」、その意味が何度も「何だっけ?」と 問い直されてきた「しあわせ」、自分のいたみを知り、他者のいたみを思いやることから生まれた「いたわり」。


今に通じる30以上のやまと言葉の語義、特色が語りかけるようにつづられる。

 

 

 良さと課題、両方に目を向けるのがいい。古語辞典に〈タダ(直・唯)と同根〉と説明される「ただしさ」は嘘偽りのない正直さ、結果はどうあれ、真心をもって懸命にやることを尊ぶ、日本人の伝統的な倫理観をかたちづくっているという。


それが、「あなたのためにこんなにしてあげてるのに」という「ただしさ」の押しつけとなり、子を追いつめ、他人との諍いを激化させてはいないか。著者は冷静に問い直す。


 「やさしさ」についての考察は、卓抜な太宰治論にもなっている。サービス精神があり、心づくしを大切にした作家の太宰は、人を憂得ること、人のさみしさやつらさに敏感な優しさを大切にし他が、著者は、俳優の優という字にもあるような「やさしさ」の演技性、人の目を気にかける要素に着目、太宰の道化精神に迫る。


 担当編集者によると、次作の構想もあったが、本作をまとめ終え、 校正作業のさなかに倒れ、77歳で死去した。自分の来し方を「さようであるならば」と確認し、その先へ行くことを表す「さようなら」が最後に取り上げた言葉だった。


〈「やまと言葉の人間学」(竹内整一著 東京大名誉教授 倫理学者 ペリカン社 3300 円)という本を、鵜飼哲夫氏( 読売新聞編集委員)が、紹介されています。〉