「馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない」
「情報を見ても、その情報を身につける事はできない」
「ドラマを見ても、構成力を身につける事はできない」
「小説を読んでも、物語を書くことはできない」
「相手を非難しても、自分の非難には気づかない」
「理想を強要しても、その理想を呑みこませる事はできない」
仲間直は最近こんな事を考えていた。
馬を水辺につれていけても、ということわざは得てして
他人を導いても、そこにたどり着けるかどうかはわからない、
という意味合いだと解釈している。
「会社がまさにそうだよな」
会社の若い上司によくあるのだが、
「理想を強要して、会社のため、といいながら理論武装を施して、自分の理想を強要してくる人」
が多数いる。
狭いルールで生きてきた人で、人生経験が少ない人によくある傾向だ。
視野が狭いから自分の理想が、世の中の理想だと勘違いしている人。
「馬はこの後、歩かないといけない。水辺ももうない。だからここで水を飲まさなきゃいけないのだ」
という理論は正しいのかもしれない。
しかし水を飲むかどうかは馬が決める事で、強要されるとまず飲まない。
飲もうとしても、上から水辺に顔を突っ込ませられたら、もう飲まないだろう。
「それが正しいのだ」
とその上司は勘違いする。
その方法がうまくいくと
「俺の判断は正しかった」→「俺の判断を非難したものは正しくない」
となりその方法がうまくいかないと
「周囲の人間のレベルが低い」
と思っている。
自分のやり方が正しかったかどうかは判断基準にしないのだ。
それとは別に自分にも同じ事が言える。
「名作を見ることは自分の人生に深みを与える」
「様々なパターンを見る事が、自分のレパートリーを増やす事になる」
「あいつはダメだと非難する事が、自分の成長に繋がるから非難する」
これらは
「自分のその場所に連れて行ければ、自分はそれを手にする事ができる」
という勘違いだ。
しかし駄作を見続けて、真似し続けても、成長はしない。
「脳に負荷を与える」
事で成長し、スキルUPできるのだ。
映画を見続けても、映画を覚えなければ、自分の創作力がアップするわけではない。
そして覚えるためには脳に負荷を与えないといけない。
この場合の脳の負荷とは、
「何もない状態でいつでも思い出せる」
「思い出した事から、自分がそれを使って何か作れるか実際に行動する」
事がスキルUPに繋がるのだ。
体操の世界やフィギアスケートの世界でよくあるが、一人の選手が世界初の大技を成功させると、その数年後には数人の選手がその技ができるようになる。
これは
「優れたものを見る事で、初めてその視野が広がる事で、可能性を見出せる」
事ができるからだと思うのだ。
そういった意味で、優れたものを見る事は大事だが、それをトレースしないと自分にはその実力は身につけられない。