アメリカの音楽院についての総括 | 【Cantante lirico】テノールー日本を越えオペラを外国で - A Japanese Tenor becomes an opera singer

【Cantante lirico】テノールー日本を越えオペラを外国で - A Japanese Tenor becomes an opera singer

テノールリリコが、オペラハウスと契約するまでの物語- Japanese Tenor lírico signs a contract with an opera theater and create a career overseas

アメリカで音楽を学ぶということは、とにかく高くつく。

学費が100万円台というのは、州立大学の音楽学部くらいしかないし、

ジュリアードでも年間200万はする。

それだけの大金をはたいて入ったからといって、プロになれる保証などないし、

実際にジュリアードを出て、町の音楽教室でアルバイトの講師をしている人に会ったこともある。

名門の音楽院の中でも、100人に一人が、舞台で通用する、ということだろう。


同じような教育が受けられるのであれば、イタリアの音楽院の方が、値段は安い。

けれど、音楽院について調べていけばいくほど、

お金を費やしたからといって、なんとかなるような世界ではないと感じる。


お金を出せば、どこかの学校には入れる。

音楽を学ぶこともできる。

けれど、実際に演奏家として通用するかどうかは、全く別の話である。


そう思うと、本当に才能のある人たちのみを選抜して入れているような

専門の教育機関というのは、とても理にかなっていると思う。


昔の素晴らしい先生が、生徒からお金を取らずに教えたり、

素質のある人だけが集まっているような場所も、

音楽を本当に極めていく上で、とても自然なことだと思う。


音楽というので、飯を食っていくというのは、何をいっても実力がないといけない。


そんなのやらせたらすぐに分かるし、わかるからこそ、出来る人にとってはそれがありがたくて、シンプルでいい。


できるのだから。


どこにいっても、一日5時間は練習をしないといけない、

とあるピアノ科の音楽学校で学んだ人の言葉があった。


しかし、やはりこの世界は、先生との出会いだろう。


良い先生と、本当に極めていく道のりが必要だ。


そして、5時間練習するのも、それもまた必要なプロセスだろう。意欲から自然発生的に。


金を積んだから、なんとかなる世界じゃない。


世の中のコンセルバトリーには、タダに等しいようなところも色々なラテンアメリカの国にはある。

そして、実際にそういうところから、本当に名のある音楽家が誕生しつづけてきたことを、歴史は証明している。


だから、なんとか大金を使ってでも学校に入ってしまうことを考えるのは、やめて、


必要な言葉や、ピアノのことは、素直に学んでいくことにしながら、


本当に必要な人と、必要な場所で、高度な専門教育を受ける環境に身を置くことを考えたほうがいい。


やはり、学校を卒業、というのは自己満足の世界なんだけれど、本当に自分が先のことを考えていくなら、名門と呼ばれるところに、居るべくして居るようでないといけない。

そもそも、普通や、ちょっといいくらいでは、なんともならない世界なのだから、


特別優秀で、惚れ惚れするくらいで、なんとかなるか、ということである以上、


やはり、これは物質的なことよりも、精神的なこと、目に見えない作用のほうが、圧倒的に大きい。


自分が居るべき場所に居ることが肝心だ。


とにかく、お金さえあればなんとかなる世界ではないし、

お金なんてなくても、逆になんとかなってしまう世界ではないか、と

いうことが、見え始めてきた。