皆様 2025年になり早くも半月が過ぎました。本当に早いですね。
私は今年も勉強に、合唱に、里帰り親の介護、友達との旅行、などなど、やりたい事が満載で、1月から新しい予定を手帳に書き込みながら、ワクワクしております!

新しい運動に関する何かを始めたいとも考えております!
1月は論語の講義が始まりました。
論語は何度やっても新しい発見があります。
先日ある会合(勉強会)で大先輩のTさんから、質問をうけました。
「論語に、
古の学者は、己れのためにし、今の学者は人のためにす。
とありますが、何故でせう。どう思はれますか。」
昔勉強したところですが、古いノートをひっぱりだして
格闘して返信をしました。
===ここから
「論語」憲門25の件です。
孔子の言葉は、ある時ある人に向かって言われたものであることが多いので、ここも、学問を、お金のため、名誉のため、自分を誇らしく人に見せるためにやっているような弟子に向かって言った言葉かもしれません。
「昔の人は〜今の人は〜」という言い方は、今も昔も年寄りの口癖で、孔子より500年以上も前の殷の時代の石碑にも既に「昔の人は偉かった」と書いてあったそうです。
要するに、「古の人は〜」という言い方は理想を言っており、「今の人は~」という言い方は人々が陥りやすい間違いを指摘しているのだと理解します。
学問を、お金のため、名誉のため、自分を誇らしく人に見せるためにやるのは良くないということを言っているとは思うのですが、私の先生は、そうしたことを認めた上で、さらに哲学的にアプローチすることを勧め、
「ではあなたたちはそこから何を引き出すか?」
と問います。
私が当時ノートに書いていた私の考えたことの要点は次のようなものでした。
例えば、金のために学問をしたとしても、真剣に真剣にやっているうちに、学問の本当の意義、喜び、楽しさがきっとわかってくるに違いない。
そうなれば、そのことは大変尊いことだ。
だから、不純な動機で学問を始めたとしても、それはそれでムダではないのだ。
そういうことを学習したのを思い出しました。
====ここまで
Tさんが質問してくれたおかげで、改めて勉強になったなあと思った瞬間でした。
ありがとうございます。