またまたお久しぶりです。ユマニテ会のユニッチニコニコです。
暑くなりましたね。
梅雨に入って大雨がふったかと思うともう真夏のような快晴です。台風晴れ

ユマニテ会も毎回熱くもりあがってます。
秋合宿の内容もそろそろ先生と相談して資料も作らなくては!と思っている今日この頃です。

個人的には、海にも行きたいし、温泉にも行きたいし、夏も待ち遠しい感じの今日この頃です。

さてさてお勉強の方は色々とまだまだ????はてなマークの飛び交っている私ですが、千里の道も一歩から。コツコツ頑張ります。

では前回のユマニテ会より一部ご紹介いたしますね。

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哲学というものは文学でもあります。だから、内容だけでなく、その表現も大切です。よき表現において、よき内容が伝わるのです。ということで、今日の中国古典は、原文に返り点、送り仮名、振り仮名を付けたもの、いわゆる漢文を資料とします。

漢文というのは日本人の素晴らしい工夫ですね。中国語をそのまま日本語で読めるようにしたものなのですから。中国語の文章の並び方は英語に似ています。私は、中国語は全く出来ませんが、中国を旅行したとき、漢字を英語の順番に並べて書いて渡すと100%意志を伝えることが出来ました。

(漢文は省略します。)

夫れ才の徳與より異にして、世俗の之に能く弁ずる莫く、通じて之を賢と謂ふ、此れ其の人を失ひし所以なり。
夫れ聡察そうさつ強毅きょうき、之を才と謂ひ、正直中和、之を徳と謂ふ。
才なるは徳の資なり、徳なるは才の師なり。
雲夢うんぼうの竹、天下の勁けいなり。
然しかり而して矯揉きょうじゅうならず、羽括うかつならず、則ち以て堅に入る能はず。
棠谿とうけいの金、天下の利なり。
然り而して鎔範ようはんならず、砥礪しれいならず、則ち以て強を撃つ能はず。
是の故に才徳全尽ぜんじんを之れ聖人と謂ひ、才徳兼亡けんぼうを之れ愚人と謂ふ。
徳の才に勝る、之を君子と謂ひ、才の徳に勝る、之を小人と謂ふ。
凡およそ人を取るの術、苟いやしくも聖人君子を得て之に與あずからず、其の小人を得る與よりは愚人を得るに若しかず。
何ぞ則ち君子は才を挟んで以て善を為し、小人は才を挟んで以て悪を為す。
才を挟んで以て善を為すは、善の至らざる無からん。
才を挟んで以て悪を為すは、悪の亦た至らざる無からん。
愚者は不善を為すを欲すると雖も、智の周あまねく能はず、力の勝る能はず、譬たとふならば乳狗にゅうくの人に搏はくさるが如く、人得て之を制す。
小人の智は以て其の姦を遂とぐるに足り、勇は以て其の暴を決するに足る。
是れ虎にして翼ある者なりて、其の害を為すや、豈に多からざらんや。




司馬 光(中国宋代の政治家、歴史家)の『資治通鑑』からです。
この中で司馬光は
「才と徳(解り易く言えば、才とは頭が良いことです。知識があることです。徳とは心が良いことです。思想がきちんとしていることです」を基準として人間に4つのレベルを設定し、上に立つ人が人を採用する場合、どういう人を選んだらよいかということを述べています。


なお、こういう文章は常に極端なものの言い方をします。しかし、実は、真理というものは常ににじんでいて、そう単純明快に割り切ることが出来ないのが実情です。でもそういってしまうと、基本がきちんと理解できずに終わってしまうことがあります。だからこの文章もそうですし、私自身もいつも極端なものの言い方をします。ですから、まず基本を理解した上で、後は御自分で応用編において臨機応変に使っていただければよいと思います。

「才」と「徳」とを区別しないことが、人の使い方を誤る原因である。
頭がよくて、意思が強くて屈しないのが「才」である。正しくまっすぐであり、

かたよりがないのが「徳」である。「才」は「徳」の素材である。「徳」は「才」を導くものである。


① 才も徳もある人を聖人という。(才○ 徳○)
② 才も徳もない人を愚人という。(才× 徳×)
③ 徳が才に勝る人を君子という(才<徳)
④ 才が徳に勝る人を小人という(才>徳)


人が、部下として聖人、君子を得ること出来なければ、小人よりは、むしろ愚人を得た方がましだ。なぜならば君子は徳の導きで才を働かせて善をなすが、小人は徳がないから才を働かせて悪を為すからである。
愚人は悪いことをしようにも、知恵も力も足りないから、たいして悪いことも出来ない。
小人は悪事をやり遂げるに勇気や知恵をもっている。虎に羽が生えたようなものだ。そういう小人が引き起こす悪は多くないことがあろうか、いや非常に多い。

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