幸せのカタチ

幸せのカタチ

2018年11月1日フルーツタルト専門店『Gowdy 』をくだもの王国岡山にオープン。長女はダウン症を持って生まれました。現在第4子を妊娠中

私が見つけた小さな『幸せ』をブログに綴っています

ベル現在募集中のイベント情報



四つ葉3/2 岡山 タイムマネジメント手帳術セミナー ベーシック

     

四つ葉



四つ葉



四つ葉

8/22久しぶりに夜間救急に走りましたショボーン





ゆっちゃんが夜中の2時頃から

ケンケンと犬吠様の咳を始めて

止まらなくなりました





熱は36.7℃となかったのですが

何でそんな咳をしているか

喉が痛いとも

呼吸が苦しいとも言わず

苦痛な表情を浮かべてるだけ






夫とも相談して

これは夜間救急に行くべきと判断





車ぶっ飛ばしました






久しぶりの夜間救急

 

 



すごくドキドキして怖かったショボーン






すぐに先生に診てもらえて

「クループでしょうね」と





クループとは?



吸入をしてリンデロンの内服薬をもらって帰りました




保育園でRSが流行っているそう





ここのところ風邪もひかず
入院もなく過ごせてたから
久しぶりに心臓バクバクしたけれど
入院もしなくていいそうで
家に連れて帰ることができました





怖かったえーん







命の尊さ



命の終わりと始まりを

長男はどのように感じているのかな…





大切なひと

大好きな人を失う経験を初めてした後だからか

それとも元々優しいからか

長男が家にいる時は

生まれたばかりの妹をいつも抱っこしています





大事そうに





父が生きていたら

父もきっとこうやって

ずっと抱っこしてくれただろうな…なんて

父の姿と重なったりして





子どもたちに《命》を大切にすること

相手と自分を大切にすることを

教えたいと思っていたけれど

言葉で教えるよりもこうして

自分で体験していろんな感情を味わうことが

1番の学びになるのだと思います





「赤ちゃんおじいちゃんに会えなかったね…」






残念そうに長男は話します





両親以外に自分のことを大切にしてくれる人

自分を愛してくれる人の存在は

とても大切だと思うから





その存在がいなくなってしまったことが

とても残念で寂しいけれど

もし何かに迷った時、躓いたとき

おじいちゃんのことを思い出してくれたら

とても嬉しいです






お父さんのように

優しくて強い男の子に育ってくれたらと思います




そして周りのみんなの為に生きて

徳のつめる大人になってくれたらと




沢山の人が弔問に来てくれて

涙してくれて

「お父さんにはとてもお世話になりました」

「お父さんが居なくなってしまって…

 これからどうしようかと思います」

そう言って皆さん悲しんでいるよ




お父さんのような生き方は

あと何十年あっても私には出来ないって思った





改めて

お父さんの娘であることを誇りに思います





これからもずっと見守っていてね









 

娘に1番最初の贈り物
やっとやっと名前が決まりました

父が生まれてくれる赤ちゃんのために

ずっと愛される子になるように

可愛がってもらえる子になるように

いくつか名前を考えてくれていました




これから一生大切にしていく名前だから

「字画はまりちゃんが調べてね」と

父から託されていました





考え出すととっても難しくて

本当は父が生きている間に

決めて知らせておきたかったのだけど

字画と響きと文字のバランスなどなど





考えすぎてまとまらなくて

決定まで沢山時間がかかりました




父も喜んでくれてるだろうな




 

あと17日…


父が亡くなってから娘が生まれるまで17日




どうしても父に見せたかったから

ほんの少しのすれ違いに

とっても残念に思えて仕方がないけど





これも運命。





かな



6/3 16:32  2864gの

元気な女の子を無事出産しました!






昨晩痛みが強く

7分おきの定期的な痛みになったので

病院に連絡

そして入院になりました





いい痛みの波が来てるね!と言われ

夜のうちに生まれるかな♡なんて

ドキドキしたのですが…






やっぱり私は子宮口が開き難くて

病院についてすぐ1cmほどと言われ

夜中ずっと陣痛はきているのに

翌朝になってもほとんど変わらず 泣






お昼前の診察で先生に

「進んでるからね」と言われたものの

この時が2cmほど…






病棟に帰り

また5分から7分おきの陣痛に耐えるも

「子宮口の入り口が

だいぶ柔らかくなって来てるから

これから進むとおもうからね」と言われるのみ






実際には子宮口はなかなか開かなくて

ひたすら痛みに耐えるのみ…






陣痛の間隔はどんどん狭くなるのに…

なんで開かないんだ

私の子宮口…

もう4人目だと言うのに

今日もまた生まれないのかな…

そう思って諦めていたら

15:30頃陣痛の痛みとは別に

子宮口のあたりにすごい衝撃






胎動?!と思ったけど

確かこれは覚えのある衝撃。

ナースコールを押して助産師さんを呼ぶ

「たぶん破水したんじゃないかと思うんです」

そう言って検査をしてもらったら

やっぱり羊水の反応+

すぐに抗生剤の点滴が始まった






これでまた陣痛の間隔が短く強くなってくる

次男の時も

長女の時も

ここからがとっても早かったから

今回も早いのかな。

今日中に会えそう






どんどん

どんどん

痛みの間隔が短くなって肛門を押される感覚

助産師さんが陣痛のたびに押さえてくれるのが

とっても助かる

途中夫に代わるんだけどなんか違う…






そうしていたらいきみたい感覚に襲われる






産まれる。






赤ちゃんがどんどん降りて来ている感覚がわかる

「子宮口8センチ」

そう言われたんだけど

もういきみたいし

赤ちゃんが出て来そうな気がする





酸素5リットルが始まって

ゆっくり呼吸をするように言われる






いきみたい…






赤ちゃんにちゃんと酸素が届くように

呼吸に集中する






やっと産む姿勢をとらせてもらえた

先生も来てくれた

やっといきんでもいいと言ってもらえる






この時にはもう痛みはなくて

赤ちゃんがスルンと出てきてくれて

赤ちゃんの泣き声が聞こえて

胸がいっぱいになった





「赤ちゃん元気よ」

そう言われてホッとした





10ヶ月大事に育ててきた赤ちゃん

お父さんがずっと待ち望んでくれてた赤ちゃん

無事に産むことができた











39週に入り、夜中に前駆陣痛が始まりました





陣痛につながるのかな?!と

身構えているけど

いつの間にか寝落ちしています





予定日に近づくとドキドキします…

今まで3回出産しているけれど

長男は予定日3日前から微弱陣痛で

結局40週1日で出産






次男は予定日過ぎても陣痛が来ず

40週3日で出産

陣痛もなかなか強まらず

一回自宅に帰されました






長女は39週0日で出産しています

長女の時は陣痛が強くなると心拍が落ちたり

子宮口はなかなか開かなくてバルーンを

挿入したり…

すごく大変な出産でした…






今回4回目の出産

今日は39週と5日

朝にはおさまる前駆陣痛も

今日はずっと続いています






そして12時頃おしるしがありました





痛みはや張りは不規則で

まだまだ前駆陣痛の続き…という感じ





夕方、

規則的な張りと痛みになってきたように

思いましたが結局またおさまってきた感が…




もうすぐ生まれると思うんですが…






いつも陣痛開始から子宮口が開くまで

かなり時間がかかるので

今回もそうなのかな…と思います





明日はまた少し進んでいるといいな。





頑張ります!!


R3年5月17日

大好きな父を亡くしました





去年の年末まで

元気に仕事をしていた父ですが

今年に入りガタガタと体調を悪くし

闘病生活を送っていました





《貧血》と父から告げられていた病名は

《骨髄繊維症》という病名でした






今年に入ってからは病状が進行し

《骨髄異形成症候群》になっており

白血病の前段階。






完治する治療法は骨髄移植しかないそうで

高齢の父は「ビザーダ」という

抗がん剤治療を勧められ

ICも簡単に終わりそのまま治療へと進みました





1回目の投与後、心不全や肺炎を併発し

ビザーダの副作用により命の危険にさらされ





追加治療は難しいとの判断…





肺炎も完治しないままに転院を勧められ





この時

父はそこまで予後が悪いと知らなかったし

病状も悪かったので

転院をどうするか家族みんな悩みました






父は輸血が頻回に必要で

安全に輸血をしてもらえるところとなると

実家の近くではなかなか

受け入れ先が決まりませんでした






私は緩和ケアをずっと望んでいたけど

緩和ケアでは通常輸血をしないそうで

終末期だけれど緩和ケアには入れない

輸血は延命治療とみなされてしまうとのことでした





血液疾患の終末期の患者さんたち

その家族はどんなケアを受けてるんだろう…





コロナ禍にあって

父の入院中、側にいられなかったので

父が苦しそうにしている姿は見なかったけど

電話では「しんどいなー」ということも

「今日はえらい」という日もありました






最終お世話になった病院は

緩和ケア病棟もある病院で

父に告知を全て行った上で

緩和ケア病棟への転棟を提案してくれました

輸血も必要に応じてしてくださるとのこと






父は私のお腹にいる赤ちゃんに会いたいと

なるべく一般の病棟でと希望していました





でも

緩和ケア病棟へ行くことも了承しており

亡くなる日

本当は緩和ケア病棟へ転棟する日でもありました






私の念願だった緩和ケア病棟へ

行くことはなかったけれど

入院中、緩和ケア病棟の看護師さんや

チームの方にお世話になったと聞いています






父がなるべく苦痛から解放されるように

関わっていただけたなら

私も父も幸せです







お父さん




お父さんが会いたがっていた

赤ちゃんがもうすぐ生まれるよ





楽しみにしていてね





4/29
主治医の先生から連絡あり
今後の治療方針について相談がありました





今の病院に入院しておくか
それとも元々お世話になっていた病院に戻るか
どちらがいいかと




ただ、今の病院にお世話になるのなら
父に全て予後も含めた告知をしなければならない
とのことでした




元々私は両親が癌になったら
緩和ケアに早い段階でお世話になりたいと
思っていたのですが




父の場合
きちんとした病状説明を通院期間中
私はもちろん、父自身も受けておらず
今年に入り、急に病状が悪化してしまい
急変の可能性があると言われる状況だったので
告知のタイミングを逃してしまっていました




父の場合、
骨髄繊維症の通院加療を5年ほどしており
昨年末、骨髄異形成症候群へと移行し
急性骨髄性白血病へと移行してしまった
最後の最後に選択を迫られました




私は大きな病院に父をお願いしたかったので
父自身に告知することを了承しました




母は父が以前から
「悪い話は聞きたくない」
「命の期限は聞きたくない」
そう話していたそうで
最後まで悩んでいましたが
母も同様大きな病院で…と
了承してくれました




コロナ禍の中
独りで受け止めるにはすごく酷な気がして
私もとても辛かったけれど
告知の後、父と電話で話をした時に
「ここの先生はきちんと
話をしてくれるからよかった」




そう父が話してくれたので
とてもホッとした気持ちになりました




認知にも衰えはなかったし
厳格な父だったので
次第に衰えていく自分自身の身体を見たり
感じたりしながら
不安な気持ちや
もう良くなることはないと
感じたいたのだと思います





それを医師から言葉にして伝えてもらうべきか
隠しておくべきか…
すごく葛藤しましたが
きちんと伝えることで
父には辛い思いをさせたと思うけれど
しなければならない話や
伝えたかったことを
私も母もできて
今は《良かった》と思えています




筋肉質で
大きな背中
大きな存在だった父が痩せ細っていく
その姿を見るのは
とても辛いことでした



でも懸命に生きようとする姿
《生きること》を教えてくれた父を
今では誇りに思います




仕事にも遊びにも一生懸命で
障がい者福祉にも懸命に取り組み
みんなに優しく
みんなのために生きる
人としての在り方を
父から教えてもらいました




父に恥じない生き方を
私はまたここからスタートさせないと





まだまだ教えて欲しいことが
沢山沢山あったけれとけれど
別れは突然やってくる
寂しいけれど
仕方がないね




でもきっと
お父さんは近くにいてくれてるような
そんな気がしています

R3.5.19 葬儀が無事に終わりました





父が亡くなって

日増しに父がいないということを実感して

寂しさが募ります





父が亡くなって見送るまで

私自身もとても辛かったのですが

何より息子たちが私の想像以上に悲しみ

涙している姿を見るのがとても辛かったです





長男は父が大好きで

休みの日になれば毎週ひとりで

私の実家で1日中父と過ごしました





次男も本当は一緒に過ごしたかっただろうけど

父のことを思うと2人とも預けるのは

とても大変なので長男だけという日が

ほとんどでした





私が一緒に過ごせる日や

どうしても2人ともお願いしないといけない日は

父と2人の息子の3人で

川や公園やいろんな所に

虫取りや魚釣や自転車に乗ったり

私とはできない遊びを

沢山してもらっていました







息子たちのおかげで

毎週のように実家に帰り

父と会って話すこともできて

一緒にご飯を食べることもできて

ありがたい時間が過ごせたなと思っています







父のアルバムの中に

父と過ごす子どもたちの写真が沢山ありました




2人に見せると

「楽しかったー!」とすぐに返事がありました





父も仕事が忙しかったけれど

私が困った時

息子たちが会いたいと言った時




二つ返事で

「連れておいで」と言ってくれました





こうやって遊んでくれていたんだなと思うと

胸がいっぱいになります




父のおかげで私も今まで頑張れました





仕事に子育てに

一生懸命向き合えました



幼い頃から私が父と過ごしたように

息子たちも沢山遊んで

おいしいものを食べて

一緒にお風呂に入って

楽しい時間を過ごしていたのだと思います





しばらくまた寂しさと向き合う日々





大切な人を亡くすのはとても辛いことです






5月17日 1:45

急性骨髄性白血病による多臓器不全のため

父が旅立ちました





恐怖や悲しみでしかなかった

父との別れですが

今はとても穏やかな気持ちでいます





それはきっと

これまでの間

たくさん涙を流しましたし

父との思い出を振り返って

気持ちの整理をする時間もありましたし






何より父に感謝の気持ちや

伝えたかったことを

伝える事もできたからかもしれません






まだ実感がないのかな?とも思うけれど

寂しがりやの父が1人で闘病生活を送ることから

解放されたかと思うと

やっと帰って来てくれたと思うと

ホッと安心したような気持ちでいます





コロナ禍にあって

病院での面会はリモートのみ

父に会えないこの5ヶ月の間とっても寂しくて

とても辛い時間でした





当たり前に会えること

直接会って言葉を交わせることが

どれだけ幸せなことか





これまで過ごして来た時間が

本当に大切な時間だったと気付かされた

そんな日々でした





たくさんのお気遣いを頂けたこと

支えてくださった友人や家族

私の周りにいてくれる皆さんに感謝です





また父の闘病生活について

私のこれまでとこれからと

このブログで綴っていけたらと思います




私の子どもたちも
父からたくさん愛情をもらって
たくさん可愛がってもらって
とっても逞しく大きく育ってくれています




私が今頑張れるのも
私がみんなに褒めていただける
私の良いところ
全て父からもらったもの
教えてもらったことです




父に感謝して…
最後のお別れをしようと思います


今日は私の誕生日
お父さんと一緒に過ごす誕生日は
何年ぶりだろうね



帰って来てくれてありがとう








主治医の先生に
「怖いのは出血と感染症」と
告げられていました



急性白血病になり
全ての血球が下がってしまい
輸血をしなくては命が繋いでいけなくなった父



4/27(火)朝から鼻血が止まらなくなり
救急車で別の病院に搬送されました




県内でも大きな病院を転々とする父
今回もまた別の病院に
お世話になることになりました




やっとやっと止まるまで
6時間程…




転院先の病院を探すのに時間がかかったと
先生から説明がありました




父の状態で受け入れ可能なところ
耳鼻科の処置ができる先生がいらっしゃるところ




岡山県内では限られるようでした




受け入れ先が決まり
鼻血も無事に止まり
ひとまず安心。




処置が終わった父に会わせてくださったのですが
すでに輸血を始めていてくれました




受け入れてくださった病院の皆様に
心から感謝します




医師という仕事
看護師という仕事
本当に尊いです