母になるということ | こどもの未来をまもるピアサポグループ Mirai terrace+

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今日は私の子供の時の話を打ち明けようと思いますウインク



ネグレクトって言葉は知ってるけど、一体なに?どんな環境なの?と疑問に思われている方や、ママ世代の方の中には、
もしかして私も子供にしてるのかな?
もしかして私もそうだったのかな?
と不安になっているママさんもいるかもしれません。


あと中には大げさだなーと思われている方もいると思いますデレデレ


私の体験はたくさんの家庭がある中のたった一つの例、家庭の数だけ色々な家族の形があり、人それぞれ悩みを抱えて生きていると思っています。

 
ですから私が話すことはほんの一例、そして私だけの経験談
 
『塚本バージョン』
 
をお話しします。
 
 
 
私は父、母、私、弟の4人家族でした。ずっとアパート暮らし。
実家がないので『実家はどちらですか?』と聞かれたときになんて答えたらいいのか迷いますデレデレ
 
引っ越しも数えたら20回はしてたので、自分はどこが拠点なのかも分かってません。
 
小さな頃、普段から家族誰も家のことをしなかったので、家はごちゃごちゃでした、でもそれはどこの家庭もそうだと言われれば、そういうレベルであったと思います、だけど母親が中学の時家を出て行ったあとは、それを超えて大惨事でした滝汗

 

 
中学校の時の制服を洗うのは1年に1回でした、両親とも喫煙者だったし、猫を飼っていたので周りに匂っていたんじゃないかなと思いますゲロー
自分はマヒしててわからなかったけど、子供を持った今思うと、最低でも学期が終わるごとに洗濯は必要だったよな~と感じます。
制服って洗わなくても汚れは目立たないから、当時は気にしなかったちゅー(笑)
 
普段の洋服は、洗濯機で洗うまではやるんだけど、私含め干すことを誰もやらない。
やらないから洗濯機の中で洋服にカビが生えて真っ黒になってましたよ。
 
白いTシャツに『黒のドット』や、『まだら模様』みたいなのができますウインク
 
洋服を買うという概念がなかったので、その洋服は小さくなって着れなくなるまで着ていました。



洗濯って晴れてれば毎日するものだったんですね!デレデレ

 
 
午前中洗濯物を干した日に、突然の大雨に見舞われた日がありました。
私は学校だったので干してあったことはすっかり忘れていたんだけど、帰ってきたら部屋の中へ取り込んであって助かった覚えがあります。
近所の人が家の中へ入れてくれたのだと思います。
入れてくれたとき、部屋がすごくて驚いたんじゃないかな。
 
 
私には何も言ってこないし話しかけてこなかったご近所さんでしたが、心配してくれてたり、気にかけてくれてたのかなーと思うとちょっとうれしいですデレデレ
 
 
私が風邪をひいて、ゲホゲホ咳をしながら外で遊んでいたら、カリンのはちみつ漬けをタッパーでくれた近所のおばあちゃん、ありがとうおいしかった酔っ払い
 
 
当時住んでた長野県諏訪市はカリンの名産地!
 
小学校、中学校、高校と朝ご飯を食べた記憶がありません。
食べないのが当たり前だと思っていましたデレデレ

社会人になってからも食べなかったし、私の息子にも保育園の頃はあまり用意してあげてませんでした。
 
 
今はきちんと用意しています、当時は午前の生活のエネルギーチャージに朝ご飯が重要だなんてこれっぽっちも思ってなかったので、気が付いて本当に良かったです。
 
 
学校行事のお弁当の時は、友達から一つずつおかずをもらって食べていました。
私からちょうだいって言ってないのに
『一個あげる』とみんながくれたのは、今思うと心優しいクラスメイトに囲まれていたのだなーと思います。
 
 
夕飯は両親がパチンコで交換してきたお菓子とかの景品、閉店までパチをしてたので、おなかがすいたまま帰ってくるのをずっと待っていました。
たまに一緒にパチ屋に連れて行かれた時のご飯は、お店でパチンコ玉を拾って交換したサラミでした。
このサラミがまたおいしかった!今もサラミは大好き!
 
 
お昼は小、中学校は給食があったので良かったけど、高校は自分で用意しなければいけなかったので、ご飯代や通学の定期代、学費は学校に許可をもらってアルバイトで稼いでいました札束
 
 
ケンタッキー・フライド・チキンでバイトしていました。
今はダメになってますが、当時は余ったチキンやポテト、ビスケットを持ち帰っても良かったので、帰って家族で夕飯にしてました。
チキンが夕飯なんてご馳走ですよ!
でもさすがに20ピース持って帰ったときは、もういらないと思いましたチーン
 
 
春になると、近くの土手にフキノトウやら、ヨモギやら色々食材が生えてきます。
作り方は分からなかったけど、なんとなくこんな感じだろうと作った
 
フキミソ
ヨモギの味噌汁
アカシアの花の天ぷら
 
 
フキミソレシピはこちら
アカシアの花の天ぷらレシピはこちら
 
結構おいしかった。
 
食べたらおいしかったあの草はなんて言う名前なんだろう。
今だから言えるけど、裏の畑の野菜を採ってしまった、ごめんなさい。
タンポポは花だけのほうがおいしいですよ。
 
 
究極のおやきを知っていますか?
小麦粉にお水を混ぜて焼くんです。中身はなし。
 
 
紙も種類によって味が違うのを知っていますか?
おいしいのはつるつるしたちょっと上質な紙、少し甘いです。
わら半紙は口の中で溶けるし、土臭いので注意が必要でした。
 
 
(注意:この部分は勇気のある人だけ読んでください)
家庭訪問の時だけ部屋がきれいになる現象は小中学校の時。
足で物をどけながら歩く、けものみちがあって、どけたところからクモ、アリ、カマドウマが出現します滝汗
 
 
いつカマドウマ(便所コウロギ)がこっちへ飛んでくるかとビクビクしながら入るトイレやお風呂。
小さいのに存在感があり、ヤツは目が合うと飛んでくるから気が休まりませんでした。
 
 
トイレは当時汲み取り式でしたが、手の届くところまでたまっていて、はみ出しそうでした、汲み取ってもらうと地の底まで続くような長いトンネルが出現します。
水洗になってよかった!
 
 
 
お風呂の壁や床、天井に苔って生えるんですね!デレデレ
湯船に入っていて、突然天井がはがれ落ちてきたときはさすがにびっくりしました滝汗
 
 
 
お風呂のお湯は3日変えないと底が見えないぐらい濁ります、風呂釜洗いの洗浄道具って当時ありましたっけ?
風呂釜は洗ったことがないから、お湯にわかめのような湯垢が浮いていました。
 
 
 
キッチンの三角コーナーの生ごみは誰も片づけません、片づけないから腐ってウジがわきます。
干からびるまで待ってから勇気を出して片づけますゲロー
(どうしてそうなる前に片づけないのか・・・ダークサイドの不思議ですよ)
 
 
 
私はお布団は天気がいい日は洗ったり干したりしてますが、当時は干すなんて概念ありませんでした。
だからいつも茶色くてペラペラのベトベトでしたウインク
 
 
 
毛布って洗うものなんですね!布団にカバーってかけるものなんですね!
お日様のにおいがするふかふかの布団って気持ちがいいですねデレデレ



今住んでるところは部屋に太陽の日差しが入ってきます。
部屋に日が当たるところに住んだのは初めてですデレデレ
 
 
 
電気、ガス、水道は止まるのが当たり前でした。
催促状、督促状が来てほっておくと、ある日突然止まるんですね。
親が支払うと使えるようになるんですが、電気、ガス使おうと思ったらつかない!ということが当たり前になっていました。
電気がつかなくなったら、ろうそくがありますウインク
ろうそくで過ごす夜は結構幻想的です。
 
 
 
でも安心してください
水道は命の源なのでなかなか止まりませんウインク
 
 
 
当時、捨てられていた猫を拾って飼っていました、もちろん猫トイレも誰も掃除しなかったので、部屋の中全体がトイレのような感じでした。

布団の中で子猫を出産したこともありました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これが、今思い出す限りの小、中学校、高校の時の衣食住の様子です。
高校の時がメインの様子かもしれません。

 

 

 

私は小児喘息を患っていましたが、病院に行ったのは社会人になってからです。
吸入器を処方してもらったときは、こんなに便利なものがあったのか!そしてこんなに呼吸が楽にできるんだ!と驚きました。
風邪や怪我なんかで病院に行く概念もありませんでした。
 
 
夜なんかは魑魅魍魎みたいなものが集まってきてるような感じがして、怖くて布団から出られなくて丸まっていました、足なんか出したら持っていかれちゃうんじゃないかと恐ろしかったチーン
健康のケの字も、安心のアの字もない生活でした。
 
 
こんな家庭環境をネグレクト、貧困家庭というのではないかと思います。
 
 
 
 
こんな環境で育ってきた私でも幸せになれちゃったんだから、子育ての何が正解で何がいけないのかなんてないのかもしれません。


再婚して、子育てについて悩んで困って、誰にも分かってもらえない、誰にも助けてもらえない、誰に相談していいのか分からなくて一人で抱えて苦しんでいたときに、20年以上離れて暮らしていた母親に会いに行きました。



気持ちをうまく話せず、ただ大声で号泣するだけの私でしたが、母が抱きしめてくれたんです。



私、ただそれだけで気持ちを受け止めてもらえた気がして、気持ちが楽になりました。
今までの何十年分の心の距離が一気に近付き、本当の親子になれた気がしますデレデレ

 
 
最低限、子供がどうしようもなく困ったり、悩んだり、悲しんだりしたときに受け止めてあげられる
 
愛情ちゅー
 
さえあればなんとかなるものなのかなと思いました。
 


私は息子に
『ママがいないと寂しい』
と気持ちを打ち明けられたときに、この子は私が必要なんだ、しっかりしなきゃと気が付いて


『寂しい思いをさせてごめんね』と抱きしめてあげられて良かったデレデレ
 

 
子供は損得勘定なしで
愛してくれるかけがえのない存在なんですね。



私のところに生まれてきてくれてありがとうちゅー
 




 
おしまい
 
 
 
 
母親のことも父親のことも責めるつもりは全くありません、だって母も似たような環境で育てられてきたから、私たちにそうするしかなかったんだと思うので。
実際知らないうちに私も息子に近いことをしていたので、気持ちや状況は少なからず理解できるからです。
父はとても不器用でしたが優しい人でした。