こんにちは!三上冬遊子です

 

 

私は1年前、ママを楽に!楽しく!という活動を全力でしていました。

 

自分を大切にしないとどうなるか?

 

ということを身をもって体験したからです。

 

 

その時には、

"子供の頃、愛情を受け取れないと

自分を大切にできない。その結果・・・"

という視点でお伝えしていました

 

今はビジネス視点での発信なので

自分と向き合うことがお仕事の成功につながるという

内容になりますが、もっと広げていうと

 

女性の人生はもっともっと幸せであふれたものにできる!

 

ということにつながっていきます。

 


どんな人でも良いところがあって、

それを自覚して活かすこと

人と比べたり、得意でないもので

勝負しても苦しくなるだけ

自己否定をなくしたい

 

そんな気持ちが原点となっています。

 

結局、ママでも起業家でも「自分を知り、愛すること」ができるように

お手伝いするのが私の役目だって思っています!


 

今日は、少し重い内容ですが「なぜ私が"私と向き合うこと"にこだわるのか

そのわけをお伝えしたいと思います。

※過去、ママ向けに書いたブログ記事をもとにしていますので読んだことある方もいるかも!

 

 

 

 

 

こどもの頃の環境


●父・母・父方の祖母・弟 の5人家族

ズバリ、とにかく姑が母に厳しい。よくある嫁姑問題ですね。
記憶のある3歳ごろから、母に甘えると翌日おばあちゃんの機嫌が超絶悪い。
嫌味を言われたりするので、 
身を守るために小学校くらいから母をずっと無視してました。

母に酷いことを言った夜
お酒の飲めない母が大量にお酒を飲み
意識不明で救急搬送されたこと。

私のせいだって自分を責めましたが
小学生の私には毎日の抑圧の逃げ場がなかった結果、
母に八つ当たりしたんだと思います。


父は無関心。悪い人ではないけど能天気。

面倒なことはやらない昭和の男。(超迷惑)
仕事に行って帰ってご飯食べてテレビ見るだけ。
私達こどもには、ユーモアある楽しい父でしたが
父がもっと家庭に興味もってくれたら
母はあんなに寂しくなかったかもと思います。

それでも、私自身は学校が好きだったし
ほかの家を知らないので、母に甘えられないことを
特別つらいとは感じていなかった。
おばあちゃんの顔色をうかがう気持ちの方が強かったです。

ここで、私の「人の気持ちに敏感な性格」が形成されます

 

 

 

 

 

高校生活は仲間外れで単独行動


中学までは良い友達に恵まれ、
思春期の不安定さはありながらも楽しく過ごせていたのですが、
高校で入ったグループに夏休み明けくらいから仲間外れにされてしまった・・・

優しいね、と言われて相談に乗ってた相手からの無視。
つらかったです。

それを見てほかのグループの子が「こっちにおいで!」と声をかけてくれたのですが
「大丈夫!」と断る・・・変な正義感?逃げちゃだめだ!みたいな心理が働いていたかも。

自分が幸せになることを自ら放棄

そのため、高校3年間は修学旅行もひとり行動でした💦


※ほかのクラスで同じ部活の子が一緒にお弁当食べてくれたり
味方になってくれて、本当にありがたかった。

彼女は今でも親友です😊



 

初の就職は半年で辞める


団体行動がめっきり嫌いになった私は
就職活動も気が進まず在校中は仕事が決まりませんでした。

地元のハローワークに通い

自力で温泉郷のホテルに就職できた時は嬉しかった!
そもそも、まじめでヤル気はあるので仕事に困ったことはほとんどありません。
「日本一のホテルガールになる!」と 張り切って働く毎日。楽しかったです。

が、高校の頃から付き合い始めた彼氏
(1こ下のためまだ学生)の束縛が結構きつくて
会えないだのどーのこーのでいつも喧嘩になり、結局半年後に退職。

依存型恋愛で自分の意志(仕事)より恋愛を選ぶ

 

 

 

 

 

決めたら絶対やる!意志の強さで沖縄へ


それからも彼氏とは続き、それなりに楽しく暮らしていましたが
あるきっかけで沖縄に興味を持ち気持ちを抑えきれず
沖縄の短期バイトの面接に東京まで行く。

 

→3ヶ月後永住を決める。
→彼氏と別れる。

今思えば、この意志の強さと行動力が私の転落人生を

いつもギリギリのところで引き留めてくれていた気がします。

親にも反対されてたのにも気づかず(あとから母の日記見て気づいたw)

愛車に荷物全部載せて名古屋港へGO!19歳の時です。


もうわくわくドキドキしかなかった。




 

人生最大の暗黒期DV生活5年間


沖縄でできた彼氏と同棲をはじめたのですが、ここからがひどかった!

●DV 毎日殴られあざだらけ
●給料一日で使う
●消費者金融で借りて借金まみれ


おいおい・・・。
20代は本当に毎日生きた心地がしなかった。

地元の友達とも疎遠になり、お金はないし、
借金ひどくなって岐阜に半年出稼ぎにでたことも。
地元長野なのに!(笑)

それでも昼間はバイトと自由な時間だったので
沖縄の路地裏探検とかしてました。


そんな中で一度だけ「死んじゃおう!」って思ったことがあったのですが
両親の顔が浮かんでできませんでした。
※この死んじゃおう!も絶望ではなく「死刑で死ね」という

彼氏への報復の気持ちが強かった。どんだけ強いの私(笑)

 


こどもの頃、あまり好ましくない環境の我が家ですが
両親が私を愛していたのは伝わっていたし
私が死んだらお母さんが泣く・・・って思ったらできなかった。

その時、つらい人を救うのは「愛」しかないんだって20代前半の私は強く思いました。

その後も、万座毛から突き落とすとか、ハブを部屋に放つとか

なんども「こいつ殺してやる」って思ったけど、できず(やらなくてよかったー)
最終的には浮気されて、別れることに。




なんじゃそりゃ!



彼と暮らした5年の間に一度だけ妊娠したのですがあっさり流産。
妊娠がわかった時、それでも嬉しかったこと、
もうこれでこの人と結婚しなきゃいけないんだ、
私の人生はもう期待できない、と 覚悟したことを覚えてます。

でも、赤ちゃんはいなくなった。

きっと、私のためにいなくなってくれたんだって今でも思います。
親孝行の可愛い子おすましありがとう。




こうして、いじめやDVに苦しんだ20代までの私でしたが
今あらためて考えてみると、自分で引き寄せたこともたくさんあるなあと思います。

お友達と腹割って話すこともできた
ほかの友達のグループに入ることもできた
仕事を辞めない選択もできた
不安定な彼を見て「かわいそう、私が支える」と思ったのは共依存。
そもそも恋愛に依存型ってヤバイでしょ!



うちは本当に「自分のことは自分で決める。そして責任持ちなさい」

って家庭だったので、いい面もあるけど、放任すぎたのではないかと思う。
こどもの頃に親が信頼できる存在で、寄り添う関係があったら

ちゃんと自立心・自己肯定感・危機管理能力、等々が育ち
回避できたかもしれない。と思う。





なぜ、私の人生こんななの?と泣いてばかりいた時期もあったけど
今はこれを経験したからこそ、共感力が育ったんだなと思います。
辛かったぶんだけ、悩む人の気持ちが痛いほどよくわかる。ホントにわかるよ。


これまで、こんな人生の私を支えてくれた人に本当に感謝します。



今は家族もできて幸せに暮らしてますキラキラ
 

 




DV彼氏とも25歳でお別れできたので巻き返しの人生のはじまりはじまり!

とはいえ、ここまでの毒素は根強くておばあちゃんの呪縛はもう少し続きます。
そして追い打ちをかけた暗黒期。暴力反対!マジで。

 

 

 

 

 

浄化するのに20年。不妊・離婚・再婚・子育て


25歳でDV彼氏と別れることができた私は
やっと自由になれた!と新しいスタートを切りました。

まずは、ずっとアルバイトだったので、なにか手に職を・・・と思い
写真館で働くことにしました。

これが今の私の最初の一歩です。


その後は、写真館3つ、知人とカフェを共同経営、IT会社に併設したカフェスタッフと
いろんなことを経験します。

仕事は好きだったのでどこでもひたすら頑張りましたが
おばあちゃんとDVヤローの毒素は相変わらず私を苦しめました。


仕事で認められないとものすごい落ち込む
なぜかいつも先輩やオーナーに辛くあたられる
団体になじめない
彼氏や友達、身近な人から傷つけてしまう・・・


自分自身を大切にできない、何か成果を残さないと存在価値を見つけられない
満たされない自分の気持ちを一番大切な人にぶつける
これってメンヘラってやつ。

 


自分でもどうにもできない感情がずっと私を覆っていました。



こどもの頃に、自分の行動を否定され続け
母親に甘えることを知らず、大人の顔色を伺って生きることが
こんなにも生きづらい人間を作る。

こどもの頃にはわからなかったけど
きっと、おばあちゃんも辛い経験をたくさんしてきたのかなと思う。




そして、34歳の時に一度目の結婚。
元夫は優しい人でしたが、私の不安定さに消耗していきました

こどもがほしくて不妊治療もはじめましたが妊娠することはできなくて

気持ちもすれ違い離婚・・・。.



カウンセラーの勉強を始めて「なるほど!」とすごく納得したのですが

愛着障害があると生殖機能が未発達になる

心がどうのこうのではなく、愛情を受け取れないと

愛情ホルモンという名を持つ「オキシトシン」の分泌が不十分で
脳の機能が正常に働かず、成長に必要なホルモンがでなくなるんです。
そうすると、私のように生理不順~不妊となるわけです。

だから「愛情愛情」っていうけど、生物が生きる=子孫を残すために
愛情が必要ってことですね。






満たされない、やりきれない私はずっと苦しみながら生きてきました。

仕事が好きでバカみたいに働いて

「私はこんなに頑張ってるよ!見て!」って
ずっと言い続けていたんだと思います。

頑張らないと自分は存在する意味がない

本当は、生きてるだけで充分なんだってことに
気づけないままオトナになりました。







それから、縁あって今の夫と結婚。

あんなに、あんなに頑張ってもできなかった子供が
磐田に引っ越してきて1年半で妊娠。
父もびっくりでした(笑)

この子は私が磐田に来るのを待っていたんだな・・・って
本気で思いました!





 

夫婦のこと。そっか!このイライラ、こどもじゃなかった!

 

さあ、辛かった不妊治療を乗り越えて
待ちに待った子育てのはじまりはじまり!


死ぬかと思いましたガーン



まずワンオペ。とにかくワンオペ。
誰もいない。何もわからない。
私の子育てのつらさは99%がこれですね。

それでも、写真館勤務で赤ちゃんに触れることに慣れていたので
お世話に関しては落ち着いてできていたと思います。

そして2歳間近な頃からのイヤイヤ期。

とにかくこだわりが強かったうちの子。
よくいく施設の保健士さんも発達検査のできる施設を進めるほど。

このへんの子育てのことはInstagramの子育てアカウントでぶちまけてるので
よかったらドウゾ。
https://www.instagram.com/fuyuko.333/



ざっくり書いてしまいましたが、上のようなことで夫婦仲も最悪に・・・。
世間でいう産後クライシスでした。


なんとかしなきゃ・・・といろんな講座を受けたり自分と向き合ったりしました。
声かけ、ふれあい、発達障害の本、子育て相談

最初は子育てにイライラすると思っていた私。




その時の私の気持ち

なぜ女性ばかりがこんなに苦しいんだろう
なぜ女性ばかりが我慢しなきゃいけないんだろう
夫はいいよな、自由で。
私のことはほったらかしで。





ん?ちょっと待て。
これ、息子関係ないじゃん・・・。



そこでやっと、やっと気づいたのは

私をイライラさせる原因は私自身にあるんだ ってこと


自分は頑張らなきゃ存在してる意味がない
認めてもらわなきゃ居場所はない
いい人でいなきゃ誰からも愛されない
私が頑張らなきゃ、私が頑張らなきゃ・・・




決して、そんな風に考えてたわけじゃないんです。
でも今ならわかる。無意識にそう思ってた。

だから、夫に「お願い」と素直に言えず(自分が楽になることを許せない)
休みたい(本音) のに、休めない。休まない。
まるで何かにとりつかれたようにがむしゃらに頑張る私。

息子が1歳の時
身をよじるほどの腹痛に襲われ、喘息・腸閉塞・蕁麻疹が一気に噴き出して
救急車で搬送されました。


人間、無理の限界を超えると死ぬんですね・・・。




そこから「私の人生って何なんだろう?もうこんなのはいやだな」って思い
自分を大切にしよう!と決意。

本当にいろんな方にたくさんの事を教えていただきました。



・小さい頃のおばあちゃんの呪縛
 自分は甘えてはいけない。頑張らなきゃいけない。認められなきゃいけない。
・DV彼氏からの5年間の拘束
 無力で逆らえない自分の小ささ、期待は無意味だと思い知る。

いつの間にか、自分をいじめることでしか自分の存在を認めてもらえないと
思いこんでしまった私。

それを

「おかしいよ!戻っておいで!」

と教えてくれたのが息子です。

もう一人で頑張っちゃダメ!絶対!

と、息子が言ってくるんだと思います。何度も何度も。
マジしつこいんですけど(笑)

 

 

 

 

起業して出会ったマインドセット。女性として満たされた毎日を送るために

 

子育てや家事に翻弄されながらも起業し

カメラマンとして頑張っていた私は

半年前に人生の転機を迎えます。それは・・・

 

マインドセットに出会えたこと

 

売り上げをもっと伸ばしたい!でもこれ以上は

時間も体力も無理!と先が見えなくなっていた私は

ご縁から起業塾に入ることを決断します

 

そこではビジネス(商品づくりとセールス)を学ぶのですが

その前提に「マインドセット」が必要不可欠であることを教えてもらいました

 

 

 

それが、私のど真ん中だったー!

 

 

 

ワンオペ育児、発達障害を疑うほど難しい息子、産後クライシス・・・

コミュニティでの人間関係、激務、晴れない心

 

そのすべてが本当に天地がひっくり返るほど激変したんです。

 

 

 

 

過去にうけたダメージを癒さなければと思っていた

でも、本当はとっくに完治してた

治ってることに気づかず、同じ場所で自分を傷付けて

新しい生傷を作っていた・・・私自身が。

 

 

 

 

自分をどれだけ置き去りにしてきたか

自分の心の声をどれだけ無視して見ないふりしてきたか

一歩進もうとする自分を引き留めていたのは私自身だった

 

マインドセットに出会って、全部がふわっと霧のように消えちゃいました

 

 

 

 

この数ヶ月で息子も夫も変わった。

それは私が変わったからだと思う。

相変わらず怒るし泣くし(私が😂)だけど

ぶつけるほうも受け取るほうも前とは違う

 

家族は大丈夫だと思えるし、心から信頼している

 

 

 

コロナでお仕事の路線変更をしたけど

私の情熱は何も変わっていない。

 

今でもママを楽にしたいし、自分をいたわることを知ってほしい

プロフィールを撮りたい!って思うのが起業家さんだから

ビジネスのマインドセットをお伝えしているけど

これは子育てにもパートナーシップにも当てはまるもの

 

これまでがどんな人生でも、未来は自分で作っていけるし

助けてくれる人は意外とすぐそばにいるもんです☺️✨

 

 

 

 

浄化とか自己開示なんて大きな意味はないです☺️

ただ、私のことを知ってほしくて書きました

人は誰かから認められたいもの。

「がんばったね」って。

 

自分の気持ちに正直に、これからも

女性が幸せでしかたない世界

 

をコツコツと作っていきます!

 

 

 

 

 

もし最後まで読んでくれた方がいたら、本当にありがとう💛

 

 


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なぜママを元気にしたいのか。それはね、こどもが幸せな人生を歩むため!




それではごきげんよう☆ミ