心得たと思うは、心得ぬなり。
心得ぬと思うは、こころえたるなり。
【蓮如】
以前、あるところで、“「そうじゃない!」から「そうなんだ!」への転換が起きた瞬間をブレイクスルーと呼ぶ”といったようなお話をうかがって、大変感動しました。
「そうじゃない!」からは、自分の知識の殻に閉じてしまっている態度が連想されます。一方、「そうなんだ!」からは、自分というものをすっかり開いて、世界の方に投げ出してしまうような、清々しい態度が感じられます。
私たちは、どうしても「わからない」ことよりも、「わかる」ことの方を良きものとして見てしまうクセがありますよね。でも、世界に対しての開かれ方という点から見てみれば、「わかる」よりも、「わからない」の方が、ずっとポジティブな態度だと言うことができるのではないでしょうか。
そもそも、私たちがほんとうに「わかっている」ことなんか、あるのでしょうか。正直に自分を見つめていったら、最後に辿り尽くのは、「わからない」ことが「わかっている」だけ……という、奇妙な明るさに満ちた、シンプルすぎるほどにシンプルな地点だったりするのではないでしょうか。
そして、思い切ってその地点に落ち着いてしまったとき、「わかる/わからない」を超えた、圧倒的な理解が、彼方からやってくるように思うのです。
ほぼ週間 彼岸寺 門前だより vol.320
2016年7月3日発行
より引用しました。