<6月25日>=術後6日目
今日は3部粥。
ご飯粒が少し入っていた。
それをすくって食べました。
上澄み液(?)は、やはり受け付けません。
捨てちゃうなんて、勿体無いですね。
お腹がすくので、冷奴とプリンを食べちゃいました。
冷奴が美味しくって、しあわせ!な気分。
昼前、この日、日直のH師長が来てくれた。
登山仲間でもあり、いつも私をいじくっている先輩。
顔を見て少し話した途端、不意に涙がこぼれてしまって・・・慌てました!!!
何で、涙が出るのさ!! こら! って・・・。
今まで、ずっとこらえてきたのに、何かがプツンと切れてしまった。
H師長は、
「泣く時は泣けばいいよ。我慢することないんやで。
泣かんで我慢してると、後々まで引きずるよ。 泣きね。」と言ってくれた。
「うん、そうやね。」
と、言いながら、しばらく、ポロポロ涙をこぼしてしまった。
そういえば、私は泣いていない・・・。
告知の瞬間だけだったっけ。
私は、今の病気を受け止めていると思っていました。
けっこう客観的に見れていたし、そんなに動揺することもなかったし・・。
キュープラ・ロスは、死に至るプロセスとして、
『否認ー怒りー取引ー抑うつー受容』 の段階がある事を示していました。
がん=死 ではないけど、がんの告知を受けた場合の患者心理にも通じるものとされています。
(この理論、かなり古典的ではありますが・・・)
で、私は、『否認』 も 『怒り』 も 取引』 も、ありませんでした。
受診が遅れた自分に対する後悔はありましたが、
すぐ、受容した と思っていました。
仕方がない、
なるようにしかならない、
現実を受け止めるしかない、
・・・と思っていました。
でも、全然、受容なんて出来ていなかったのかもしれません。
体が元気になってくると共に
残酷な現実が突きつけられて、
気持ちは、日に日に、不安定になってくるのです。
手術は上手くいっても、
その後の事が、やはり、不安で仕方がない。
再発率や、5年生存率の数字がちらついてくるのです。
しかも、まだ、ステージが確定していません。
H先生は、最初、ステージⅡかな?と言っていたと思うのですが、
この前聞いたら、「りんパ節にも、来てるかもしれないな・・」なんて言ってた。
だったら、ステージⅢじゃあないですか。
ⅡとⅢでは予後も大違い。
その結論は、術後2週間以上かかると。
それまで、悶々としている私なんだろうな。
夕方、この日当直のU師長が来てくれた。
彼女の父上は、大腸がんで、10年たった今も元気だと。
こんな話はホッとする。
「まだ、分からない事を考えて心配することはない。
分かった時に考えればいいと思うよ。」と。
その通りなんだけどね。
なかなか、割り切れない、情けない私の心なのです。