父は台湾時間7月14日夜9時過ぎに、静かに眠りました。


海外にいる次兄夫婦を除いて、家族みんなの見守る中だったので、決まり文句を言っているのではなく、父は本当に幸せだったと思います。


前触れは一切なく、14日の午後4時過ぎから突然、呼吸が中断したりするようになり、意識が徐々にもうろうとしていきました。まるでただ、呼吸することに疲れただけかのように、9時過ぎに突然、呼吸するのをスパッとやめたようです。正直、呼吸する力が弱っていても、まだまだ時間があるかとみんな思っていたので、ずいぶん驚きました。


病気になった直後や入院の間は、本当に色々と辛い思いをさせてしまいましたが、最後にこういう形でお別れできたことは、母も私も、そして長兄も満足しています。娘の私がいうのもなんなんですが、一生まわりに思い遣って生きてきた父は、まっすぐで尊敬できる人だと思うので、人生の最期には、きっと神様からも格別にご愛護をいただけたのでしょう。

思えば、去年の10月末には父がもう病気が重くなり始めましたが、その間に私の博論の正式の提出、口述、学位の授与、就職、ないし先日決まった新居まで、全部見守っていてもらえました。そして、法事はどうなるかはまだわかりませんが、いまから四十九日経っても、なんとか大学が始まる前には全部済むようになっています。(もともと、父のことで、大学側に迷惑を掛けてしまうかもしれないと心配していました。)7月14日という命日だって、夏休みなので、私がお墓参りしやすいように、ぱっちりと計算されているとしか思えません。父は本当によくがんばってくれました。深い深い愛情を感じました。やっぱり最後の最後まで、人に迷惑を掛けまいと徹しています。そういう父が、心が疼くほど愛おしくて、お別れはやっぱりすごく寂しくて・・・。でも贅沢はいえません、私はそんな父の娘で幸せですし、神様が与えてくれた最後の濃密な時間が、一生の宝物となっています。

お年寄りの介護の大変さは、その家その家で異なっていて、辛いところもきっとそれぞれ違うと思うので、人にアドバイスするのは僭越というか、無駄かもしれないとは思います。しかし、時々自分のことを含めて、色んなことを疑ってきたりするのは同じではないかと思い、そういう方とシェアしたい心境があります。


「空間上」「物理的」のことではなく、「一緒にいる」のであれば、どんな介護の仕方をしていたって、どんなに醜い顔を見せたって、自分は自分のその家族を愛していると言い切っていいと思います。きっとお互いの、相手に対する愛情がはっきりと見えてくる日が来ると思います。だから、「逃げているけど逃げていない」自分を、認めてあげましょう。そこには、ドロドロと汚れたものや、窒息させてしまいそうなものの、中心ともいちばん外側とも言えるところには、やっぱり美しいものがあるのです。だからといって、ドロドロが消えることも、息が楽になることもありませんが、とても見えにくい「美しいもの」にも、気付いたら、時々思い出せたらな、と思います。


家は恐らく、非常に恵まれているからできたことだと思いますが、父に、父が愛されていることを伝え、それがちゃんと伝わった、そして、父に伝わっていることがこちらにもちゃんとわかったと、何度も確かめ合う機会が与えられました。そのことが、父を見送ったいまの、いちばんの幸せで、そのおかげで、どんなに寂しくても、清々しくて、落ち着いていられます。


父の耳元に、何度も何度もお礼を言いました。昔にも言ったことがありますが、「最高のお父さんです。よかったらまた親子になろうね」とも。悔いの残らないようなお別れができて、神様にも深く感謝しています。言いたいことがちゃんと言えてよかった。


昨日、お葬式のことで電話帳を調べていた母が、父がそこに書いた一行を見せてくれました。


「真誠心 救世間」


真心が、誠意が、世間を救う。


何がきっかけにこの一行を書いたかわかりませんが、父はまさにそういう人でした。父が残してくれたたくさんの宝物を大切にし、父が頷くような娘になれるようにがんばります。