果たして松田元は自身を断罪したのか <前編> | カープ・ドランク・ロックンロール

まず冒頭に

今回における登場人物において
敬称略であることをご了承いただきたく

いざ本編へ。

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25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島東洋カープ。


そこへと導いたのは
監督緒方孝市であり、

選手、裏方でもあり、

何よりも
熱い声援を送り続けたカープファンである。


惜しむらくは
去年までチームを引っ張ってきた前田健太が
そこにはいないが、

彼も
そのひとりと言っても過言ではない。



ここまでの屋台骨を背負ってきたのが
エースと四番と言うならば、

さらには
栗原健太も
そのひとりに加えては
いただけないだろうか。








そこを行くと、
どうだろう?オーナー松田元の存在は。


私も小学生の頃から30年以上カープファンだが、
ここまで低迷を続けた元凶はオーナーにあると感じている。

正直言うと、忌み嫌うほどの存在だ。


今回の優勝で
嫌だと思いながらも
オーナーを取り上げたニュース記事を
いくつか読んだ。


以下の3つの記事は
リーグ優勝の翌日にアップされたものだ。


まだ読んでないという方々は
長いかもしれないが、
まずは一読していただきたい。

スポニチ
広島・松田オーナー直撃
「どうしても必要なラストピースが優勝じゃった」

デイリー
【松田オーナーインタビュー】
25年といったら罪は重い「ようやっと恩返し」

報知
【広島】松田オーナー、ぶれないポリシー
「FA取らない、引き留めない」


以上これらを網羅した上で
私の見解を申し上げる。



FAに関しては
マネーゲームはしないというスタンスだが、
当時の不遇なる環境を訴えて
出て行った選手がほとんどではないか。

「お金じゃない」
と出ていく選手もいれば、

「お金じゃない」
と帰ってきた選手もいたのだから。


そこは
環境が改善されたがゆえの賜物である。







確かに
三村敏之が監督の時に一度優勝していれば
その後は大きく変わっていただろう。


優勝景気で
新球場の着工も早く進み、

少なくとも
金本、新井は出て行かなかっただろう。

三村敏之も仙台に行くこともなかったんじゃないかと思うと
非常に悔やまれる。


かくして
暗黒の2000年代へと突入するのである。

ー後編へ続くー