自身の音楽観 | カープ・ドランク・ロックンロール



自身の音楽観を申し上げるにおいて 筆頭なのは、
メロディの重要性。






耳に入ってくるのは、音楽。

飛び込んでくるのは、メロディ(作曲)

したがって、

第一印象で僕が重要視するのはメロディのクオリティ。







民謡や演歌、歌謡曲が日本人のバックボーンになっている以上
メロディのそれは我々のDNAに刷り込まれているような気がするのです。

近年ヒップホップやラップ(死語)にはメロディの無い傾向が強いですが、
サビになると歌モノのパターンが多いように見受けられます。
もちろんそれらを否定しません。これらのジャンルでも好きなアーティストはいます。
彼らの功績のひとつは
ノリをつくるのはメロディだけじゃなかった。リズムがそれを証明した。
ということではないか。




そういう意味では僕自身、歌詞に関してあまり重きを置いてません。
「詞」と「詩」って違うじゃないですか。
言葉で100%伝えようもんなら、それはポエムとかでいいんじゃないかと。
歌の中で「詞」を100%伝えるには限界があります。 
でも、歌というものは詞と曲でセットでしょ。(もちろん編曲もあるけど) 

素晴らしい歌詞というのは
ほっといても
メロディに乗って飛び込んでくるんじゃないかと。


あと、素晴らしい歌詞というより、まずはフレーズが入ってきません?
そこからたどって全体を解釈する。
メロディにあわせて噛みしめるもよし、歌詞カードを開くもよし。  
そういう風に歌詞って個々が自発的に解釈するべきものだと思うんです。








したがって
昨今の歌番組とかで
歌詞を
字幕スーパーで載せるのとか
ものすごい
抵抗あるんですけど。
昔はNHKとミュージックフェアがそうでしたが、
これらは少数派なので番組の個性として受けとめてましたけど。



もう
ライブ映像なんて論外。
ライブって
そこを要求するもの
じゃないでしょ。


完全介護というか、
最近のテレビの風潮で何でもかんでも情報を画面の中に押し込めてますよね。

ひどいのになると
その曲の解説までスーパーに…。いらんでしょ。
鈍っちゃいますよ。感性が 。

まあニュース以外あまりテレビは見なくなりましたが。(地上波は特にヒドイ)
だからかラジオとかで名曲にめぐりあうことが多いんです。最近は。





話が少しそれましたが…

なので英語がわからない僕が
洋楽に詞の何たるかを求めるのはちょっと難しいですね。
洋楽で惹かれるポイントは
メロディサウンドノリの3点。
そんな音楽の聴き方は邪道ともいえます。

もちろん、ディランぐらいまでになるとねえ…
僕も好きではありますが
歌詞に関しては 偉大すぎて その曲を聴く瞬間っていうより
別メディアから飛び込んでくることが多いですよね。






初見ならぬ、初聴で歌詞全体を把握するのは難しいですが
メロディは一発勝負ができます。 サウンド(編曲)も然り。 




個人的には耳にダイレクトで訴えかけるメロディが一番。
自身の本能を信じたい。



でも以前申し上げたように、
「解釈が多様なのがこの音楽という文化の素晴らしさではないか」
という結論に逃げて
今回の更新を終わりたいと思います。