こんにちは、うるまです。

前回記事では、父の仕事の都合で中国の上海に転校が決まった時の話をしています。↓↓↓

 

 

 

さて本日は、前回の続きで中国の上海にある日本人学校へ転校した時のお話です。

 

私は現地(インター)の小学校ではなく、上海の浦西というところにある”上海日本人学校 虹橋校”に転校しました。小学6年生の夏休みに上海へ引っ越しして、9月から上海の小学校での生活がスタートしました。

 

小学校卒業まで残り半年という時期の転校は辛い部分もありましたが、当時は新しい生活への期待感の方が大きかったです。ただ正直、上海の小学校での思い出は少なかったので3月の卒業式はほぼ記憶に残っていません。

 

無事小学6年生の9月から転校生として、新しい学校生活がスタートしたのですが、当時の私が無意識に行なっていたことがあります。

 

それは、「このクラスにおいて、誰がリーダー的存在(まとめ役)なのか」を観察することです。さらに極端な言い方をすると、「逆らってはいけない人」と「自分にとって無害な人」とを区別していた、ともいえます。

 

自分の学校生活を楽しくかつ安全に過ごすために、「自分はどのように演じるべきか」を考えていたのだと思います。

 

小学生ながらずる賢いといいますか、可愛げがない少年だったなと感じます。私は社会人になるまでは「誰からも嫌われたくない/皆に好かれたい」という考えをもっていました。小学生の頃からその性格で、この転校のように新しい環境に移った時ほど、この性格が強くなっていました。

 

 

ここまでお話しした「この人には逆らってはいけないセンサー」、皆さんももっていませんか?

 

よく言えば「相手の反応や言動を観察している/相手の気持ちを考えることができる」ですが、その実態は「相手によって態度を変える原因になってしまうもの」ではないでしょうか?

 

私はこのセンサーを働かせてしまったせいで、相手を「自分より上かそれとも下か」という白黒思考でその人を判断するようになってしまいました。今振り返ると何様でしょうか。

 

 

身近な人でいうと、私にとって絶対に逆らえない人は「父」です。そして正直下に見てしまっていたのは「母」です。

 

父は論理的に詰めてくるタイプで、ほかにもパワー的な部分もそうですが、手を上げられたこともあります。その時に植え付けられたトラウマで、正直今でも父には恐怖心を抱いています。

 

一方で母は、とにかく優しい人でした。一時的には怒っても最終的には何とかしてくれる人でした。私はいつもその優しさに甘えてしまっていたのですが、いつの日にかその優しさに慣れてしまった私は母への対応が”雑/上から目線”になっていたのです。

 

私は家族の中でさえも、自分よりも格上と判断した人に媚びへつらい、本当に大切にしたい人を大切にできませんでした。

 

 

”自分が傷付くことを恐れて、他人が気に入る自分を演じる。”

 

私自身も経験したことですが、実は相手からは”絶対に逆らわない奴”と格下に見られてしまう原因になります。自分を守っているようにみえますが、自分への扱いが雑になってくる要因になりかねません。

 

当時の私はそのことに気付くこともなく、自分を守っているようで自分の価値を下げていたのでした。

 

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。