こんにちは、うるまです。

前回記事では小学校の少年野球チームを例に、私にとって「人に囲まれること」はあまりポジティブな影響をもたらさなかったというお話をしています。↓↓↓

 

 

 

さて本日は、小学校の時の「怒られたエピソード」についてお話しします。今でも鮮明に覚えているのは、「食事」についてです。

私は、幼い頃から食への関心が薄く、「ご飯を食べること」が苦手でした。むしろ「ご飯を食べる時間」が大嫌いでした。

 

あまり多い量を食べることができなかったので「自分が食べれる量だけ食べたい」と思っていましたが、母親がそれを許してはくれず、毎日多めのご飯を食べる必要がありました。

 

当時は「食」よりも野球やテレビ、ゲーム、友達と遊ぶことへの関心が高かったので、”ご飯を食べる時間がもったいない”と思っていました。

 

そんなある日、私はやってはいけないことをしてしまいました。

それは、「おにぎりを1個丸々口に咥えて、トイレに行き、そのまま便器に捨ててしまった」のです。

 

ご飯を食べることが苦痛で仕方がなかった私は、とうとうそのようなことをしてしまいました。他に関心事があると、今しなければならないことをおざなりにしてしまう。これは幼少期からの私の悪いところでした。

 

 

当然、母親にもすぐにバレてしまい、こっぴどく怒られました。いつも口うるさい母親だったので怒られることには慣れていましたが、この件に関してはいつも以上に怒っていて恐怖心を抱きました。

 

そして、罰として「白米禁止生活」が幕を開けました。

 

私はいつも白米を食べることに苦しんでいたので、最初は「ラッキー!」ぐらいに軽く思っていました。そして白米がない「おかずだけの食生活」は1週間続きました。

 

しかし、この生活が1週間続くとだんだん辛くなってきました。この1週間母親と会話がない、何より気まづい空気感が私にとっては苦しかったです。

 

そこで無駄な意地を張ることはやめて、誠心誠意母親に謝りました。

謝るタイミングが遅すぎたので一悶着ありましたが、なんとかその場は許してもらうことができ、私の「白米禁止生活」は幕を閉じました。

 

 

母があれほどまでに怒った理由は、「自分が一生懸命作ったご飯をないがしろにされた」からだったのかなと反省しました。

当時は「自分がどうしたいか」だけを考えて行動していましたが、この事件をきっかけに「相手のこと(背景)を想像する」ことの大切さを学びました。

 

今思うと、私は元々はHSS気質のままで生きていた。しかし、時間の経過とともに関わる人が増え、様々な経験をすることによって、次第に周りを意識する”HSP気質”が芽生えていったのかもしれません。

 

そして、周りの人から”自分が思っていた反応を得られなかった時”、”自分が思っていなかった反応をされた時”。この積み重ねによって、周りに気を遣ってしまう繊細な性格が徐々に強くなっていってしまいました。

 

想定外の反応が返ってきた時は、「どうすれば良いのか分からない」とパニック状態になってしまうので、私は”他人の感情や反応をコントロールしよう”とすることで、自分を安心させていたのだと思います。

 

 

このような気持ち・性格が強くなっていったのは、やはり小学生の頃からでした。周りに私の行動を評価する人(大人)が増え、徐々に”怒られることを避けるような生き方”をするようになっていきました。

 

 

本日は、HSP気質が顔を出し始めた時のお話をさせていただきました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。