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「あれ……これ、父に感じてた寂しさと、同じだ」
夫への不満を書き出した夜、手が止まった。
もっと見てほしい。 話を聞いてほしい。 一緒に笑いたい。 楽しく会話したい。
紙に並べた言葉を、しばらくじっと見ていた。
なんか、どこかで見たことがある気がして。
「……あれ。」
頭が真っ白になった。
これ、子どもの頃に父に感じてた寂しさと、まったく同じだって
わたしはずっと、
「父とは正反対の人を夫に選んだ」と思ってきた。
父と夫は、職業も、見た目も、趣味も、嗜好品も
びっくりするくらい何もかも違う。
だから「わたしは繰り返さなかった」って、どこかで安心してた。
でも実際は、まったく別の形で、同じ寂しさの中にいた。
父は、怒鳴るタイプじゃなかった。
暴力もない。家を空けることもない。
だからずっと「父との関係には問題ない」って思って生きてきた。
でも本当は、もっと話したかった。 もっと関わってほしかった。 もっと、見てほしかった。
それを感じないように、ずっと蓋をしてた。
感じてしまったら、どうしていいかわからなかったから。
HSS型HSPって、人との「温度差」にとても敏感。
怒られた記憶だけじゃなく、
「見てもらえなかった感覚」も、深いところに刻まれやすい。
しかもアダルトチルドレン傾向があると、
「寂しい」より先に「我慢しなきゃ」が動く。
だから、寂しさに気づかないまま、大人になっていく。
心理学では、これを「未完了の感情」と呼ぶことがある。
子どもの頃に満たされなかった気持ちが、
大人になってから無意識に回収されようとする。
だから夫に向かって、
「もっとちゃんとしてよ」 「なんでわかってくれないの」ってなる。
でも心の奥の奥では、
小さいころのわたしが、「見てほしかった」「一緒にいてほしかった」って泣いてたりする。
頭では夫を見ているつもりで。
実際は、"過去の寂しさフィルター"越しに、夫を見ていた。
ゾッとした。
でも同時に、何かがほどけた感覚もあった。
「本当は寂しかった」をちゃんと認め始めたとき、
夫への見え方が、少しずつ変わっていった。
「満たしてくれない人」に見えていたのが、
「昔の寂しさを埋めようとしてた自分」にも、気づき始めた。
人って、頭では忘れていても、神経と感情は覚えてる。
だから回復って、「相手を変えること」だけじゃなく、
昔の自分の気持ちを、ちゃんと見つけ直してあげることなのかもしれない。
今だけの問題じゃないと気づいたとき、
自分を責める気持ちが少しやわらぐ。
繰り返す人間関係のしんどさに、うっすら気づいてるあなたへ。
気づいてしまったなら、もうその入口に立ってる。
それだけで、十分すごいことだよ。
つづく
