ひとりごと0034(番外011 TOCOG会長辞任問題) | 林住期さんのひとりごとブログ

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林住期を生きるおっちゃんの不定期なひとりごとです。

TOCOG会長辞任問題

 

公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長辞任の問題。

これに関して、ひとりごとは辞めておこうと思ったのですが、

この問題が、私の想いとどんどん離れていくので、

また、この先どんどん離れていきそうなので、

この先いつかの振り返りのためにしるしておこうと思いました。(2021.2.13時点)

 

私見ですが、

私は、森会長続投に賛成でした。

辞任確実となった時点で次は、川淵氏の就任予定に賛成でした。

 

この考え方の根底にあるのは、

オリンピックが差し迫ったこの段階において、

思想問題はありますが、

その思想に基づいて何某かの問題行動に移していない場合に限りという条件付きで、

続投という判断です。

 

これも苦渋の判断です。

世の中、物事100対0のわかりやすい判断となる事例はなかなかありません。

51対49であっても、100対0であっても、

結果は、是か非か、二者択一になってしまいます。

 

女性に対する侮蔑は紛れもなく100%アウトです。

しかし、今の今、感情的に辞めさせることに躍起になって、

後任問題には手つかずのまま、長期間会長不在という問題を新たに発生させてしまうのは、

相当無責任なことと思います。

 

長期間と勝手に断定していますが、

手を挙げるものは誰も出てこず、

やっと引き受け可能な希少な候補者の名前が上がっても、必ず、

反対するものが出てきて潰そうとする、

しかも反対を声高に叫ぶだけで対立候補者を出さない。

何事もすんなり決まらない、決め切らないのは、

日本では普通に起こっている事象だと、諦め気味に思っているためです。

 

次に、

辞任に追い込まれた人間が、後任を密室で決めたとの批判についても、

それ自身は正しいご意見だと思っています。

でも、私は、川淵氏を推薦したのは、賛成です。

川淵氏自身が、

若返りになっていないだとか、

女性でないとか、

傀儡だとか、院政だとか。

いろいろ反対意見が出ていますが、それでも、賛成です。

 

川淵氏の過去の実績、サッカー界、バスケット界、

特に揉めに揉めていたバスケット界での功績からして、

推薦に値すること言うまでもありません。

 

まとめますと、(私見のまとめ)

「会長不在は許されない」が最優先事項です。

会長の役割には、

世界と渡り合える(交渉ができる)ほどの力、

オリンピック開催または中止、どちらになってもその重大な決定について責任が取れるほどの力、

それらが必要。

オリンピックが差し迫った今、不在という状況はあってはならないと思います。

そして「スピード対応」。これも最優先事項です。

この2点が根底にあります。

この考えに沿って、森会長続投賛成、辞任表明後の川淵氏推薦賛成でした。

 

もし、オリンピック開催まで時間的猶予があるのなら、

時間をかけて透明性を担保して次期会長を選べばよいと思います。

世界と渡り合える人物、

思想的にもオリンピック憲章に合致した人物を選べばよいと思います。

これが正しい流れだと思います。

 

何度も申し上げて恐縮ですが、今、大切なのは、会長不在防止とスピードと思っています。

そして、“正しさ”が完全に担保されるような選択肢がありえない。

“BEST” はない、“BETTER” しかない。

と思っています。

 

話はそれますが、

日本が、先進国中でワクチン開発が遅れる、ワクチン接種も遅れる、

こういう状況に陥らせてしまっている国民性と、

今の今、森会長を辞任に追い込み、次の手立てがまったく出来ていないという、

無責任体制を招いてしまっているこの国民性は、

同根のように感じています。

 

「100%」や「潔癖」、「完全性」を求めすぎて、

スピード感が欠如しているのではないでしょうか?。

さらにその根源となっているのが、

「他責思考」という厄介な本心ではないでしょうか?。

誰々が悪い!

 

最たるものが、

国民に腰が引けてしまって、本当に思っていることをよう言わない、

「他責思考」の塊?の一部の野党、一部のマスコミ、

一部のコメンテーター達、そして与党(一部の人)。

 

第35代米合衆国大統領ジョン・F・ケネディの有名な言葉、

「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、

あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」

すべてではなくともこのような意識は必要のように思っています。

 

よって、会長職選考においては、

大役に怖気づいたり、

または名誉や金銭面での損得勘定で引き受けることから逃げたり、

自分は嫌だ、誰かがやったらいいという思考も、なんとなく感じます。

 

逆に完全性には欠けますが、

老害と揶揄される人の方が、適任ではないでしょうか?better。

老害と言われる人達に跋扈させてしまっているのは、

次の世代の脆弱さの裏返しのようにも見えます。

この脆弱さとその脆弱さを誤魔化すための詭弁としての「他責思考」こそが問題なのかもしれません。

そういう意味においても、

老害!老害!と侮蔑的に高齢者に発している一部の次の世代の人こそ、

一番卑怯な人のように思います。

若い人が嫌と感じる言葉、例えば、「若造」。これに相応な言葉「クソじじい」

「老害」という言葉は、「クソじじい」よりも侮蔑的だと思います。

もう少し、言葉はその意味をちゃんと理解し発するべきと思います。

また、若い人がいいとか、女性がいいとか、そのような思考も、

それこそが差別的思考のように思っています。

 

適切な人が適切なのです。

 

女性侮蔑思想に関しては、大きな問題ですのでまた別途枠を取りたいと思います。

それと、ここではあえて触れませんでした同調圧力についても、別途枠を取りたいと思います。

 

最後に、森会長問題でいろいろ辞退されたことについて。

その方々は、森氏のために一肌脱ごうと思ったわけではないはずですよね。

純粋にオリンピックのためですよね。(そう思いたいです)。ならば、取るべき行動は?

何が言いたいかお分かりいただけると嬉しいです。

 

当ブログは表現が不適切な部分があるかもしれません。

ひとりごとにつき、ご容赦くださいませ。