こんにちは北林です。
今回も平山先生に登場していただきます。すっかり準レギュラーです(笑)。
月に1回くらいのペースできていただいてます。
ネタがつきるまできていただきたいと思います(笑)。
今回は清沢満之(きよざわまんし)という人です。
正直いって私はまったく知りませんでした。
さて、どんな話なんでしょうか、平山先生よろしくお願い致します。

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こんにちは、倫理の平山洋史です。今日は、また(×5)北林先生のブログにおじゃましていろいろなことを考えてみたいと考えます。よろしくお願い致します。
今日は清沢満之という人物を紹介させて頂きたいと思います。
$日本大好き世界史講師Kの熱いつぶやき-清沢万之


いきなりですが,

「先生,人間死ぬ気でやれば何でもできますよね」
の問に対し,
「死ぬ気でやらなくて,一体,何ができるというのですか」
と答えたのが清沢満之です。

彼は,日本の明治期に活躍した哲学者で,僧侶でもありました。真宗大谷派(徳川家康による保護を受けた一派)の教団内改革を行おうとするも,反対派の意見その他の圧力により失敗に終わってしまう,という悲しい経歴を持つ人でもあります。

っで、何が言いたいのかというと、要は、皆さんは、今まで生きてこられた中で、「全てのことに対して,死ぬ気で当たっていますか」ということです。わたしは,残念,はずかしながら,死ぬ気で当たっていることなんて全くありません。
禅語にも「大死一番(だいしいちばん)」という言葉があります。これは,死や失敗をおそれ,無難に,卒なく,ありさわりなく,ただこなす,生きているという状態は,むしろ生ける屍に等しい,死ぬ気で事に当たってこそ,生を取り戻すことができる,というものです。
浄土の教えだろうが,禅の教えだろうが関係なく,真実をつく言葉といえます。
さて,清沢満之の話へ戻して,有名な逸話がもう一つあります。
万之は、明治36年6月6日、肺結核が悪化し、満39歳で人生の幕を閉じることとなったのですが、その前に伴侶もまたお子さんも失います。
その葬儀において、満之の友人が「何と悲しいことでありましょう。心中お察し申し上げます」と満之にお声かけを行ったところ、満之は、「何が悲しいことがあるか。無常の理、が体現されただけのことである。」と言ってのけたといわれています。そこには無理や、やせ我慢というものはなく、素のこころであったのでしょう。真実に触れた人ならではの態度であったといえます。

入試では,先述の「改革失敗」というフレーズがキーワードになりますが,日本史にしても,倫理にしても,まあ,そない重要な人物とは言いがたいのが現状です。しかし,この人物は,我々に人生における深い「学び」を提供してくれているといえます。

「いやー人物って、ほんっとに、おもしろいですよね。それでは、またお遇いしましょう」。

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最後の終わり方が、ちょっと懐かしい映画の番組みたいになってますね(笑)。
平山先生ありがとうございます。また原稿をお待ちしてます。

死ぬ気で…ですか。重い言葉ですね。
出席カードに「死ぬ気でがんばります」って書いている生徒がいますが、
よく私は「本当に死ぬ気でできる?」といじわるに返します。
死、ということばは重い言葉だと思うんですよね。

そういう覚悟ができているのなら、受験生には本気でがんばってほしいなあ。

もちろん私もがんばります!(一瞬「おまえもがんばれよ」って遠くから聞こえました(笑))。



KITABAYASHI