ひろちゃんのブログ

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 5月12日

 恒例の「母の日」がやって来た。 子供たちはそれぞれプレゼントを贈ってくれた。

長男は白とピンクの「紫陽花」を持参してくれた。 その後、いつもの中華料理店「剣閣」でランチ後、持参してくれたシュークリムでゆっくりお茶した。 岡山の長女は、横浜の「皇朝」の中華饅頭セットを贈ってくれた

 次女は私の好きなRLの「ワッフルケーキ」を贈ってくれた。後日解凍し、ゆっくり2人でお茶をする。     3人の子供達が優しくて、気を使ってくれて有難い。

 母として産み育てて苦労もあったが、報われているとしみじみ感じる!

 

 翌日の13日は激しいい雨の中、次女が私を車に乗せて夫が検査入院している病院を面会に訪れてくれた。 生憎検査中で会えずに帰ったが、私は2時間待ちで会えた。1週間の検査も脳に関するもので、体にはきつい様だ。

明日退院し、20日外来で血液検査をする。 来月27日に神経内科の部長から、診断が下されるようだ。

 

 如何に病気の進行を遅らせることが出来るか? どの程度、今迄の生活を維持できるか? いずれにしても夫婦とも辛い病気で、長い闘病生活に入る。 人生の残り少ない年月をともに闘い続けるようだ。

 

 幸いなことに介護認定の結果<要介護2>となった。 夫はまだ骨折した上腕も元に戻らず、「在宅」でのリハビリとマッサージが受けられることになった。 希望すれば公園歩行の見守りもお願いできるようだ。 私の負担も少しは、軽減出来るかも? 私は最近、齢のせいでと家事が素早くこなせなく成っている。 自分の性格上、中々手抜きも出来ず、悩んでいた。 運動機能の低下も気になっているが・・・ 

 

 続けていた「ブログ」を止めようにと考えた。 今年の秋で書き始めてから14年になりこれが最後の「796篇」だ。

次女に勧められブログを始めた。 それまで殆どパソコンには触れなかった。 結果、パソコンが身近になり生活の一部になった。 遅ればせながら文字入力がスムーズ入力出来るようになった。 途中からは1千文字を目標に文章を書くようにした。 拙い文章や語彙も少ないと思いながらも開き直って『気取ることなく、素のままで』やろうと!

 

 写真のとりこみも苦労したが、写真を入れると彩となり少しは映えてくる。 上手くできない時は兄や子供たちに助けてもらった。初めの頃は夫に文章のチェックをしてもらった。 苦労したが、続けたことで一つの形になったと思う。 やり終えて自分なりに満足している。私の好きな言葉「継続は力」

                                協力して頂いたお陰です。有難う!

                  

 

 

4月8日

 今日、板橋区役所近くの病院「健康長寿医療センター」に行った。 駅から徒歩10分程で到着し、入り口から新患受付へ進む。9時からの診察にもかかわらず、40分前でも5番の順番だ。流石に混んでいる。 

 

 呼ばれて、診察室に入り、色々と質問を受ける。 まず病院に来た経緯や病歴を聞かれた。 医師は50歳代の方で、はっきり喋り感じの良い方で一安心。 紹介状の中のMRIの画像を見て、大体病名が分かるようだった。

 もっとも「脳神経内科」を受診し紹介状には、病状説明もあるのだろう。 医師は夫の病気は、治療法がないと言う。 ただ入院検査をして、結果を病院の研究所でデータに残せるなら、検査は無料でしますとの話だ。

 画像に基づき遺伝性の観点から我々の子供に「自閉症」の子が居ないか?と2度も聞かれた。 夫の病気は遺伝性の病気のようだと想像できた。

 いずれにしても脳に関する病気で、将来は歩行障害や多岐にわたる障害が出てくるようだ。 どの位先か分からないが闘病生活に入るのは間違いない。 精密検査をして、詳しい病名を聴くために、5月8日から一週間の予定で入院が決まった。 結果の説明を受ける時に、病気の進行を遅らせるノウハウが在る筈だ、しっかり聴く。

 

 夫に感想を聞くと「受け入れるしかない」と平然と言っていた。 結局「難病」との付き合いになるだろう。 人生の最終篇で、辛いことになってしまうと想像できる。 誰しも『あ~いい人生だったと』楽に終わりたいものだが。

 私も長期の介護の覚悟をして、何とか支える為、体制を整えるしかない。 テニスもほとんど辞めて、体重を増やし脚も鍛える。

 

4月19日

 心配であったが、夫を残し私ひとり日帰りで「御代田」に出掛けた。 高速バスに乗り家を出て5時間で到着。

「浅間山」は、微かに雪が残り、桜も満開で春真っ盛りの感だ。 半年ぶりの訪れで懐かしいが、庭は荒れ放題、残念であったが何も出来ない。 例年だと二人で数日かけて、少しづつ整理していくのだけれど・・・。

 今回の目的は、家や庭の状態の確認と、スーパ「ツルヤ」での買い物と蕗を少し摘んでいくこと。

 

 早速、蕗を収穫する。 時期が遅い為「蕗のとう」は終わり、蕗はまだ10㎝ほどだが持ち帰り「蕗味噌を」造る。 

 2時間ほどの滞在で、帰路に就くために御代田駅に向かい、高速バスに乗車する。 

 

 バスの中で久しぶりに読書。 黒柳徹子の「続・窓ぎわのトットちゃん」を往復のバスで読み終えた。 夫の骨折から始まった病気、検査、と毎日が多忙過ぎて読書の余裕もなかった。 トットちゃんの本は面白かった。もう90歳になられ現役で活躍されているので「見事!」の一言だ。 彼女の住まいが「北千束」にあったので、洗足池、旗の台、 大岡山、自由ケ丘と懐かし地名が登場した。 かの地は、私達夫婦が青春を過ごした思い出の地でもあり、洗足池は夫の実家もあったところだ。

 今回の「続・・・」の出版は42年振りで、「戦争の体験」を書き残したい思いだったとある。

  私も彼女を見本にして、強く前向きに生きたいと思った・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

   

 

 3月13日

 夫のベッドが到着しセットされた。 骨折して寝起きが大変なのと、以前から買おうと話し合っていたので。 入院中私一人で「ニトリ」にベッドの下見をしておいた。 夫が退院してから、実際にニトリで寝心地を確かめてからと考えたので。 その後、息子も心配して車に夫を載せて志村三丁目のお店に連れて行ってくれた。 そんなこんなで今日セミダブルのベットがやっと届いた。

 

 結構立派で、寝心地もよく、そこそこ2人で寝られると判断した。 私は、ダブルベッドで二人で寝ると一人が動くとその揺れを「地震」と勘違いし飛び起きてしまう。 なのでダブルベッドは買わないと決めていた。

 夫は左手が未だ使えず、夜中トイレに起きる時など介護が必要だ。 ベッドの隣に布団を敷いて寝る予定でいたが、試してみると寝心地が善い。 使ってみると、布団の上げ下げが無いのが、こんなに楽だと頷けた。

 

 夫の病気は、脳神経外科で「MRI」を取り、病名も徐々に分って来た。 来月大きな病院で精密検査を受ける。

今は左腕のリハビリに励み、週三回病院まで往復4キロを徒歩で通う。 左手がまだ痛むようで、右手を繋ぎ歩く。

バランスが悪くつないだ手に夫の力が掛かり重いが、何とか支える。 リハビリの無い日は赤塚公園をウォーキングする。

 少し余裕が出てきて、春の花「馬酔木」や蕾だが「シャクナゲ」のなどを二人でゆっくり眺める。

怪我からひと月以上経過し、ゆっくりではあるが冬から春へ季節の移ろいを感じる。 怪我から今までは、環境の変化に戸惑い余裕もなく日々流されていた感だ!

 

 先日、介護申請を出した。申請を経験した兄の助言では『そんなに簡単には、認定は降りないが、取り敢えず出せば』と教えてくれた。 介護は「1~2」の要支援、次が「1~5」の要介護で、介護度に依って受けられるサービスが異なる。

 私は、どんな介護を望みか聞かれたので、何とか夫の筋力が落ちないように自宅でのリハビリと、外出の時の支えなどを希望した。 今、介護や支援を必要とする人は、80代前半で3割、80代以降は6割と言われている。

 夫婦2人世帯は、相手方に支援してもらうのが原則のようだ。 我が家の場合夫婦共80歳代では「老老介護」になり厳しものがある。 「長寿社会」では、支援を受ける人が増え続け、必要な人に手が差し伸べられないのが現実のようだ。

 

 夫の足は病気の為、歩行障害のようで、筋肉の問題ではないと医師から言われた。 筋肉は鍛えれば鍛えられるが、難しいようだ。 精密検査の結果や、介護認定の結果も、果たして何と出るか・・・。 

  私は、小さい身体ではあるが、足を踏ん張ってもう少し頑張ってみようと思う。